山城 / 恭仁宮



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恭仁宮

                      恭仁宮(山城国分寺の塔跡)   

@ くにきょう 
  別名 山城国分寺 
A住所:木津川市加茂町例幣(れいへい)
    旧:相楽郡加茂町例幣
B目標地点:恭仁宮:恭仁小学校
C形式:−−  D比高:−−m 
E現況: 

F遺構等: 
G時代/人物:奈良期/聖武天皇
H満足度: 番外
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
5分

J撮影・訪問時期:2006年02月

  
恭仁宮大極殿址

【道案内】  

<恭仁宮> 国道163線山城郷土資料館から笠置町方面に向かい約4Km先で左折した先500mのところで、恭仁小学校のところです。



【訪城備忘録】

この地区は瓶原(かみのはら)と呼ばれ、古代からの由緒ある地名と言うことのようです。恭仁宮は公園と小学校などになっており、国分寺の塔跡の石などが僅かに残っています。他のサイトの情報では大極殿北東背後の竹藪には城館(瓶原城みかのはら)の跡があり、土塁、堀が残っているとの事です。

おとなりの旧山城町には高之林城、鳶ケ城の狛氏の山城があります。
 
【歴史】

<恭仁宮>
天平十二年(740年)に聖武天皇は平城京から恭仁宮に一時都を移しました。都は天平十六年(744年)に難波宮に移り、745年に平城京に戻っています。その後は、784年に長岡京、794年に平安京に移りました。恭仁宮が廃された後この地には山城国分寺が造営されました。

 
  
山城国分寺跡遠景
  
山城郷土資料館正門前にある江戸期大坂城築城時の石垣残念石です。
  
  

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