山城 / | 鹿背山城 |
ファイルNo1279 |
南山城最大の山城。明瞭な堀切・竪堀と畝状竪堀が見られる城
@ かせやまじょう |
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【道案内】 京滋バイパス宇治西インタを下り、国道24号線で奈良市方面に進みます。城陽市で京奈和自動車道に乗り木津ICまで行き、国道24号線で木津駅前まで戻り、駅前の信号を右折し府道47号線を進みます。3Km先の鹿背山のバス停前の信号で右折し700m先の西念寺まで行きます。(但し、西念寺まで車を乗り入れるのはやめた方がいいです。乗用車で道幅いっぱいですし、寺の前は狭いです。西念寺に登る手前200mのところの右手に地元の集会所がありますから そこから歩いたほうが無難です。) 【訪城備忘録】 西念寺前にはカラーの縄張り図付き説明板がありました。ここより登ります。 大手道である谷筋の道を登って行くと竹薮の中を通ります。その途中に竪堀が一条分の竹薮が綺麗に伐採され、登城道からは滝を正面に見るが如くに竪堀が見えました。あとでわかったんですが これは主郭北側の畝状竪堀の一条でした。そこよりもうしばらく登ると城虎口という案内板が建つ箇所に至ります。ここは大手門跡のようです。左上に登ると主郭、右手方向に進むと二の郭・三の郭方面です。主要部は主郭、二の郭、三の郭があり、主郭には低い土塁が北と西にありますが、二の郭・三の郭を含め他の郭には土塁がありません。主郭北側には巨大な谷のような堀切及び主郭東側下にある水の手を守るための竪堀・竪土塁は主郭北東下に二条あります。その西には明瞭な畝状竪堀が見られます。三の郭の南にも畝状竪堀がありますが こちらは明瞭ではなかったです。主要三郭がそれぞれ堀切で隔てられ独立しています。強いて言えば主郭と二・三郭にまとめられ、一城別郭のようです。その三つの郭から北西に向かって三本の支尾根に段郭が続いていました。確かに、南山城最大の山城と言われるだけの規模の城でありました。 【歴史】 築城時期、築城者は定かではありませんが、元々は木津氏の城と言われています。室町期には古市氏など興福寺の勢力がたびたび入城している記録があるようです。戦国期に入り、大和に勢力をもった松永久秀が奈良の北の押さえとしてこの城を改修したと伝わります。 <現地案内板より> |
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