山城/ 淀城



ファイルNo1223

奇跡的に本丸遺構が残る、都会の城

             水堀越しに本丸天守台石垣   

@ よどじょう 
  別名 

A住所:京都市伏見区淀本町 
B目標地点: 
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況: 

F遺構等:郭・水堀・石垣・碑・説明板 
G時代/人物:江戸期/松平氏〜稲葉氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2003年01月・2021年09月 他

  
本丸内城址碑

【道案内】 

名神高速道路京都南インタを下り、国道1号線を南に進みます。3Km先の大手筋の信号で斜め右へ入り県道13号線を進みます。3.5Km先が納所の信号でその先200m左手が城跡です。

  



【訪城備忘録】

町の中にポツンという感じで本丸の石垣とその南(西)側の水堀が残ります。そばに京阪電車が走ります。(2006年くらいまで淀駅がすぐ横にありました。) <新幹線がそばを通る福山城・三原城、飯田線が横切る長篠城みたいな感じですね> 城址公園の北側にはマンション(二の丸の位置)が迫って建っています。都市部にある尼崎城や長岡城みたいに完全に市街化で遺構が痕跡も残っていないというわけでなく、本丸部分だけでも遺構が残っている事を幸いと思うべきでしょうかね。往時は、城域北側は淀川に面し、二の丸、本丸が並び、内堀が西、南、東を巡り、その外側に三の丸・西の丸が巡っていたようです。

2021年09月、2006年以降、京阪電車が高架化され、淀駅が京都市街側に移動してから初めて訪城しました。旧淀駅のところが駐輪場になっており、天守台下まで近づけました。内堀の西側にあった建物も無くなっていて内堀、本丸の石垣が見やすくなってました。こうしてみると本丸だけと言ってもそこそこの広さがあるんやなって再認識でした。^^;
  
【歴史】

徳川秀忠は元和五年(1619年)に伏見城を廃して、松平定綱に淀城の築城を命じました。元和九年(1623年)に着工し、寛永二年(1625年)に完成しました。寛永十年(1633年)に永井尚政が城主後、たびたび移封に伴い城主が変わりましたが、享保八年(1723年)に稲葉正知が佐倉から転封し、以後。明治維新まで稲葉氏が城主でした。 <現地案内板より>

 
  
天守台西側石垣
  
  
本丸から天守台
  
現地説明板より縄張図
天守台と京阪電車
天守台石垣と京阪電車
天守台・向こうは淀駅  2003年      城址碑

近くの城・関連の城: 淀古城

          

天守台下郭石垣
天守台石垣
天守台穴倉内部石垣
天守台下郭石垣
本丸内東多聞櫓下石垣石段
本丸内東多聞櫓下石垣
本丸南西隅櫓石垣     本丸内西側石垣
本丸北西側丹波櫓石垣
稲葉神社        與杼神社(よどじんじゃ)
與杼神社北側石垣
 
天守台石垣(東端側から)
天守台石垣(南側から内堀越し)
南側から本丸石垣
南側から本丸石垣
天守台石垣
本丸西側石垣と内堀
本丸西側石垣
西側内堀と本丸