京都の城01 

                                                                               

淀古城  No:1224

妙教寺
城址碑
県道13号線沿い薬師堂跡碑

A 京都市伏見区納所北城堀 
B妙教寺・納所小学校  C平城
名神高速道路京都南インタを下り、国道1号線を南に進みます。3Km先の大手筋の信号で斜め右へ入り県道13号線を進みます。3.5Km先が納所の信号で、宮前橋側(府道207号線)ではなく、その手前の路地に右折します。400m進んだ右手が妙教寺です。城の遺構はありません。寺の本堂の柱には幕末の鳥羽伏見の戦いでの砲弾の貫通痕が残ります

F遺構等:碑  
G室町期/畠山氏・豊臣氏  
H満足度:凸

築城時期は定かではありませんが、室町期応仁の乱の頃、畠山政長が築城したと考えられます。その後、三好氏、織田氏の支配を経て、天正十七年(1589年)には豊臣秀吉は弟の秀長に城の修築を命じ、その城に茶々(淀君)に与えました。この城は文禄三年(1594年)には廃城になりました。

J訪城:2001/06  2003/01
今里城  No:1543
説明板
A 長岡京市今里2丁目 
B長岡今里郵便局  C平城
京都市内から国道171号線で高槻方面に向かいます。馬場の信号で右折し、府道79号線を進みます。700m先のY字を斜め左へ府道79号線を進みます。400m先でJRを越え、さらに800m先で阪急線を越えます。阪急長岡天神駅横です。ここから500m先、八条ケ池の信号で直進は府道79号線、左折は府道10号線の信号ですが右折します。市道を1.2Km進み、路地に右折した郵便局手前のマンションそばに説明板があります。

F遺構等:説明板  
G戦国期/能瀬氏  H満足度:凸築城時期は定かではないようですが、能瀬氏の居館跡です。史料・発掘木簡では大永二年(1522年)に能勢氏の名があるようです。

J訪城:2006/08