山城 / 天王山城



ファイルNo1220

山崎の合戦後 羽柴(豊臣)秀吉が天下取りの繋ぎの城とした城

                            石垣

@ てんのうざんじょう 
  別名 宝寺城・山崎城

A住所:乙訓郡大山崎町大山崎 
B目標地点:宝積寺 
C形式:山城  D比高:150m 
E現況:山林・神社 

F遺構等:郭・土塁・石垣・井戸・説明板 
G時代/人物:南北朝・期戦国期
        /赤松氏・羽柴氏(豊臣氏)
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  30分

J撮影・訪問時期:2001年06月・2014年2月

  
本丸礎石

【道案内】  

国道171号線をJR山崎駅に向かいます。山崎駅より右に道があり 踏切を渡ります。渡ってまっすぐに坂道を登ると宝積寺(宝寺)に至ります。この宝積寺より遊歩道を徒歩にて1.1Kmで山頂です。途中、山崎の合戦時の豊臣方旗立て松などもある。本丸までは案内板が整備されています。



【訪城備忘録】

豊臣秀吉が山崎の合戦で明智光秀を破り、天下統一と大阪城へ移るまで居城とした城です。思った以上に遺構が多いという印象です。山頂に本丸があり、礎石が多く認められます。西の一段下がった場所が二の丸でしょうか。二の丸の南側に井戸跡があり、そのまた南側は竹藪となつているものの、多くの郭跡が認められ、ところどころに石垣が残ります。他に空堀、土塁もあり、規模の大きさを知る事ができます。でも、うれしいのは南斜面に残る石垣遺構ですな。
<登城道>
旗立松は、山崎合戦の際に、秀吉が馬印を立てて全軍を指揮したといわれる場所です。展望台に上ると、古戦場を見下ろすことができます。両軍の配置図も設置してあります。さらに登ると広場には幕末の「十七烈士の墓」があります。禁門の変で敗れた真木和泉守以下十七名の志士の墓です。さらに登ると酒解神社です。酒解神社は立派な殿と重要文化財の神輿庫があります。この上辺りから城域で山頂に至ります。

2014年2月再訪
10年ぶりに訪城しました。南斜面の竹藪は竹が伐採はされ、見通しはよくなったんですが、積み上げ方が人が入れないようにしてあるため、主郭部から眺めるしかなかったです。斜面の石垣がわずかに確認できました。

  
【歴史】

南北朝期に摂津守護赤松範資によって築かれたとされます。 応仁の乱(1467年〜)の頃には山名是豊が改修し利用したと推定されてます。天正十年(1583年)に織田信長が明智光秀の謀叛によって本能寺の変で横死後、羽柴秀吉と明智光秀とが戦った山崎の合戦では、この合戦で勝利を得た秀吉は、大坂城築城までの間京都を押さえる意味もありこの城を居城としました


  
井戸
  
土塁と石垣残存?
    
  

近くの城・関連の城:

          

現地案内板より          説明板
旗立岩            山崎合戦碑
旗立岩周囲からの眺望
酒解神社上の郭土塁          郭     
主郭東下
主郭への石段       主郭虎口
主郭              通称/天守台
主郭西下郭         主郭北下帯郭
井戸郭           主郭南下郭
2014年撮影   南斜面石垣   2002年撮影
石垣の痕跡
竪土塁          主郭
男山(石清水八幡宮・男山城)遠望          宝積寺三重塔     
石清水八幡宮 (男山城)
本殿