道案内  |
富山市中心部より国道359号線で砺波方面に向かい神通川の橋より約9Km先、外輪野の信号を左折して県道59号線に入り、約600m先の下瀬の信号を右折しそのまま県道59号線を山田川沿いに山田方面に進みます。途中で県道35号線との併用県道になります。約6km先、県道35号線と県道59号線の分離地点で斜め右の県道35号線に入ります。約200m先で右折し約150m先の集合住宅下に山に向かう道がありここに入ります。山裾まで一直線でそこから右にカーブします。最後は左折し100m先がこの道の終点です。この左手を鉄塔に向かって登り、尾根まで登り、右手鉄塔で左手が城跡です。
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訪城備忘録 |
明瞭な遺構は無いです。資料には土塁が残ると書かれてますがそれもわかりません。平坦地が尾根上にあるのみです。 県道35号線と県道25号線の合流地点から県道25号線を約2km登りながら進み、県道133号線との分岐点まで行きます。ここからはメイン道路は県道133号線で県道25号線は山の中を通るため冬季期間は通行止めです。分岐点から約500m入った道沿い左に「乱の穴」の碑と説明碑があり、その約20m先に登り口があって5分も登ると「乱の穴」 があります。ここは、永禄六年(1563年)上杉氏に攻められ小島城主の小島甚助胤興と寺島牛之助の兄弟らがこの地に身を隠して上杉氏から逃れたとの伝説のある場所です。
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城山進入路
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築城時期、築城者は定かではないようです。神保氏の家臣の小島職鎮、その子、小島甚助が城主であったようです。
寺島牛之助は甚助の弟で、高山城主の寺島職定の養子であったようです。永禄六年(1563年)落城しましたが、その後、小島氏は復帰したようで、天正九年(1581年)、織田方の佐々成政に対して富崎城に籠って抗しましたが敗れました。天正十五年(1585年)、佐々成政が豊臣秀吉に降伏した時期までには廃城になったと思われます。
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