道案内 |
能越自動車道(高岡砺波道路)の福岡インタで下り、斧川東の信号を直進して国道8号線(小矢部バイパス)を進みます。6.5km先が源平トンネルで、このトンネルの手前の立体交差で国道471号線に下り、右手に進みます。1.2km先の道坪野の集落を越え、されに約1.8km先の国道沿い左手に案内板がありますので、そこを左折します。坂を登って行くと600m先にまた城跡の標識があり、左折します。200mほど先の貯水池そばに車は停め、さらに小道を進みます。100mほど先の左手に説明板があり、200m先左手の標識から城跡に入ります。
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訪城備忘録 |
2014年4月に一度来たんですが、登り口が判らずあえなく断念してました。国道の標識は最近できたような気がします。城跡には貯水池の傍から小道を進みます。この道は昔は越中から能登への街道のひとつであったようです。200mほど進むと左手の平坦地(やや藪)に説明板があります。さらにそこから進むと左手に城跡の標識、小さな堀切のあるところから城跡に入ります。主郭は正方形の形状で一辺40mほどの広さがあり、土塁が巡ります。南側下の帯郭はわりと明瞭です。残念ながら周囲は熊笹などが生い茂り、詳細な遺構は見にくい状態です。形状からすると元々は土豪の城館だったものが、街道を取りこんでいるため監視の城にも変貌した感じです。街道跡の切り通しは明瞭ですが後世の改変だそうです。城域東側下まで行ってみましたが、熊笹がひどくて遺構を見るのは無理でした。現地説明板の縄張り図には描かれていませんが、切り通しの南側下に堀切もありそうですがそれも藪状態でみるんは無理そうです。主郭の北東下にも竪堀等と小郭があるようです。
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主郭の城址碑
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築城時期、築城者は定かではないようです。 史料には影野左衛門が居城したとされ、後に、能登畠山氏の家臣で畠山七人衆の一人と言われた三宅総広・三宅長盛の一族ではないかと言われる三宅新衛門尉が在城、あるいは、近くの安楽寺砦にも名前がある松岡新左衛門も在城したとも言われるようですが、詳細は不明のようです。
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