越中/ 井田主馬



ファイルNo2081

富山県では少ない畝状竪堀のある城ですが、藪に覆われて見えない^^:

                     城域最初の堀と土橋    

@ いだしゅめがじょう 
  別名 

A住所:富山市八尾町井田
    旧:婦負郡八尾町

B目標地点:
C形式:山城  D比高:110m 
E現況:
山林
F遺構等:郭・土塁・堀・畝状竪堀・碑・説明板
G時代/人物:南北朝期/斎藤氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  説明板から10分

J撮影・訪問時期:2009年04月・2016年04月

  

道案内 ←説明板の位置 ←城跡

富山市内よりは国道359号線を婦中・砺波方面に向かい婦中町長沢の長沢西の信号で国道472号線に左折します。9Km先の福島三の信号で左折し県道25号線に入ります。すぐに杉原橋を渡り、上井田の信号を直進します。250m先で道は左カーブしJR線沿いを走ります。上井田の信号から1.3km先で県道は右折し踏み切りを渡ります。渡って100m先の路地に右折します。道は100m先で大きく右にカーブし、JR線路沿いを進みます。道は狭いので注意です。途中T字は右手に出てJR線路沿いを進みます。路地の入口から700m先の左への路地を登ります。すぐに墓地があり、そのまま山道を500mほど進んだ山の中腹に説明板があります。ここから左手の林道を1.5km進むとパインセンターのそばに出ます。
訪城備忘録

2009年に三回目でやっと説明板のところまで到達しましたが雨で断念してました。2016年にやっと城域まで行けました。この説明板から主郭までは700mとなっています。案内に従い山に入ります。

尾根道を北から南へ歩く感じです。途中、遺構ではないのでしょうが一騎駈けの尾根があります。さらに進むと城域最初の堀と土橋に至ります。土橋右手は堀切状の形状ですが、左手は堀というより帯郭のように見えます。帯郭から空堀への発達過程の城でしょうか? 土橋を渡るとまた空堀があります。ここは最初より空堀らしいです。急坂を登ると主郭です。主郭は狭い空間でした。反対側に降りると段郭を越えてC郭になりますが、段郭から主郭を取り巻く空堀があります。ここには竪堀が4条ほどあるようですが、竪堀というより外側土塁に平行に溝が4つあるという感じで、竪堀とは言い難い感じです。

C郭手前に櫓台のような土塁、その端から周囲を取り巻くように帯郭状の空堀が最初の土橋まで続いています。この斜面にも畝状竪堀がありますが、残念ながら藪でよくわかりません。

主郭には住人のカモシカが上から見下ろしてました。小さいながら面白い城跡でした。 なお、城ケ山の東側に井田主馬ケ城の城址碑がへんなところに建っていました。ここは城の山の麓付近で元は八尾遊園地という施設があった所の入り口で、城には関係ないようです。

説明板と碑
歴史

南北朝期から天文年間(1532〜1554年)の間にあった斎藤氏の城で城主としては斎藤主馬、斎藤判官、斎藤左源太の名があるようです。井田館の詰め城と考えられますが、天文二十一年(1552年)までには築城されたと考えられます。天正十一年(1552年)の斎藤次郎右衛門と佐々成政の城生城攻防戦前に廃城になっていたようです。 (現地案内板より)

二つ目の堀         主郭南下の虎口
現地説明板より
主郭のカモシカ
空堀
  
尾根上の道
城域最初の堀と土橋
二つ目の堀
北側下から主郭を見上げる      主郭南側下
主郭下の東側を巡り堀(堀底道)
南の先端郭         先端郭から虎口土塁を見る
先端郭土塁横から        帯郭
東側下を巡る帯郭
帯郭から最初の土橋方面

近くの城・関連の城:城生城 井田館