越中 / 荒山砦



ファイルNo1537

                          模擬櫓を下の東屋付近より  

@ あらやまとりで 
  別名 荒山城 

A住所:氷見市小滝〜石川県羽咋郡中能登町芹川・蟻ケ原
B目標地点:荒山峠
C形式:山城  D比高:駐車場から80m 
E現況:山林 

F遺構等:郭・堀 
G時代/人物:戦国期/菊池氏?・一向宗?
H満足度:凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  麓の説明板のところから10分

J撮影・訪問時期:2006年08月

  
堀?(旧の道らしいです)

【道案内】 

高岡市内の国道8号線四屋高架より国道160号線に入り氷見市内に向かいます。16Km先(氷見市中心部を過ぎます)の阿尾の信号左折し県道18号線を約13Km進みます。富山と石川の県境の荒山峠を越え、下りになって700m先の右手の城口林道に右折し、300m先の右手にトイレ付きの休憩駐車場があり、ここの説明板と城址碑と所から登ります。



【現況・訪城記録】

夏場の訪城で夏草は伸び放題の状態ですか、なんとか主郭まではたどり着けます。山頂に方形に削平され、下方に空堀が巡っているようですが夏草で堀はほとんどわかりません。主郭下の郭のさらに下の郭に模擬の櫓がちょこんという感じで建っています。


【歴史】

詳細は不明ですが、阿尾城の菊池氏の菊池入道あるいは菊池十六郎が城主、さらには石動山の一向宗の出城であったともされますが定かではないようです。天正十年(1582年)に織田信長が本能寺の変で横死した際、上杉景勝は畠山氏の旧臣の温井景隆、三宅長盛を能登に送り込み、石動山天平寺と合わせて能登の奪還を図りました。この際、荒山に入りますが、前田利家、佐久間盛政は石動山、荒山砦を攻めこれを落城させました。この後、荒山砦は越中の佐々成政の出城となり、天正十二年(1584年)の加越緊張の際の佐々方の国境守備の城塞群のひとつとなっていました。


  
模擬櫓
  
主郭
     
  

近くの城・関連の城:石動山

            

麓駐車場の城址碑          主郭からの眺望