越中/ 宮崎城



ファイルNo0034

両越国境の城 富山県では数ない石垣遺構の残る城

        三の丸石垣

@ みやざきじょう 
  別名  

A住所:下新川郡朝日町宮崎・城山
B目標地点:JR越中宮崎駅
C形式:山城  D比高:300m 
E現況:山林・公園

F遺構等:空堀・土塁・石垣・堀切・碑・説明板
G時代/人物:鎌倉期〜戦国期/宮崎氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  城山公園駐車場より5分

J撮影・訪問時期:2001年8月・2004年8月

  

【道案内】

国道8号線を富山・黒部方面から来ると「横尾トンネル」を越え、「城山トンネル」を過ぎるとすぐ右への道=城山公園への道を右折します。後は道なりに公園まで山道を登ります。(途中上の山公園への分岐は右が上の山、左が城山です。ここだけ注意ください。)
 


【訪城備忘録】

宮崎城は富山と新潟の県境近くにあり、境城と言えます。城跡からの日本海の眺めは気分爽快です。2004年8月 久しぶりに宮崎城を訪れました。というより、上の山公園から泊城に行こうとしたのですが、藪がすごくて途中断念しまして、山の斜面を泊城とは逆に直登しましたら宮崎城三の丸のところにでました。上ノ山公園駐車場から七曲道を通り宮崎城の二の丸に入ることもできます。ここには七曲空堀が見られます。夏場は草木が多くてはっきりは見られませんが、この堀は箱堀との事です。通常は城山公園まで車で行けます。公園化されていますが、戦国期の縄張りが残存しており二の丸・三の丸には富山県の城では数少ない石垣が残存しています。 三の丸には北陸宮の墳墓と宮崎太郎長康の供養塔があります。

なお、泊城は上の山公園駐車場から公園とは逆の方向(上の山公園と宮崎城城山の間の谷)を西に進みちょうど上の山の西隣の峰の山頂にあるとのことです。山頂に居住性のある館城的城郭が残っているようで宮崎城や横尾城との関係は密接のようです。

【歴史】


寿永元年(1182年)に京都を脱出された北陸宮は、木曽義仲に属する豪族宮崎太郎長康に護られて宮崎に居住し、八幡山(城山)に御所を造営せられました。これが宮崎城のはじまりで、この後皇位継承の望みを断たれた北陸宮が入洛後は、承久の乱(1221年)の戦場となったりしました。戦国末期は上杉・佐々の攻防の場となり、前田氏支配時期は前田氏家臣の高畠氏・小塚氏が配されました。 ≪現地案内板より≫

本丸
鷲野曲輪の堀切
宮崎城三の丸より富山湾を望む
  

近くの城・関連の城:横尾城・泊城