越中 / 森寺城



ファイルNo0018

富山(越中)では少ない石垣の城

            本丸石垣 

@ もりでらじょう 
  別名  湯山

A住所:氷見市森寺
B目標地点:西念寺
C形式:山城  D比高:120m 
E現況:山林

F遺構等:堀・塹壕・堀切・土塁・石垣
    ・井戸・説明板

G時代/人物: 戦国期/畠山氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  公民館より25分・駐車場より15分

J撮影・訪問時期:2001年04月・2007年10月

  

【道案内】 

高岡市内の国道8号線四屋高架より国道160号線に入り氷見市内に向かいます。16Km先(氷見市中心部を過ぎます)の阿尾の信号左折し県道18号線を約2.8Km進みます。森寺の信号で右折し、すぐに左折し水田の先を進みます。山すそに森寺公民館があります。公民館前に簡単な城跡までの案内板があります。徒歩は公民館から山裾の小道を歩いていると城跡へのもうひとつの案内板のところから山に入ります。西念寺の裏手に入ると言ったらいいでしょうか。車はそのまま細い道を直進(3.3Kmの標識有)して城跡反対側に廻り、2.2Km手前(道標有)で左折し、200m先で右折、山すそを細い道を進みます。駐車場手前から山道になり中腹に駐車場があります。



【訪城備忘録】

山に入り空堀状の道をひたすら登ります。この道は「塹壕」と説明されており、当時の輸送路とのことです。中門跡まで登ると左手すぐ上に「斉田屋敷」郭があります。けっこう広い削平地です。中門より右手を登ると主郭です。二の郭周辺より石垣があります。石垣のある城は富山県内の中世城郭では数少ないものです。虎口より石垣がより明瞭な形で残ります。二の丸も相当に広い平坦地を持ちます(公園化はされてはいますが)。二の丸やや北側に大きな井戸跡があり、南西側に石垣にて固めて一段高くなった本丸があります。二の丸のもう一方(本丸に近い方)の虎口にも石垣が見られます。ここより中門側に戻り谷を越えて「野崎屋敷」郭へ行きます。ここの削平地も広く、深い井戸が今も残ります。「斉田屋敷」も「野崎屋敷」も山の各ピークに主郭より独立した郭として存在するという印象があります。本丸と各屋敷間に明瞭に堀切が入るというより自然の谷が堀切のかわりという感じです。各郭間は塹壕などで結ばれていた感じです。

2007年10月
六年ぶりに再訪しました。今回は駐車場から搦め手口を見て、本丸に向かいました。搦め手の土塁は食い違いになっていて、高さもあり、その先に堀切も残り、一見の価値がありました。本丸までの道沿いのも大きな堀切などが残り、中世の城跡の雰囲気が味わえます。改めてこの城の大きさを感じました。


【歴史】

この城は市の北部で能登との国境に近く、阿尾川に沿った標高162mの御殿山にあり、氷見から能登に向かう荒山街道を抑えています。本来は湯山城といい、室町時代の中頃に能登守護畠山義統が築いた城と伝えられています。天正十二年(1584年)の加賀の前田氏と越中の佐々氏の争いでは、佐々氏の国境城砦群の拠点となったと考えられます。  ≪現地案内板より≫

二の郭虎口石垣
 
二の丸下石垣 
  
塹壕 森寺城⇒追加写真のページへ(搦め手口など)
   
     

近くの城・関連の城:阿尾城七尾城

          

斉田屋敷
二の郭東下
二の丸井戸             二の丸(広場)
中門                  野崎屋敷  
案内板(公民館前)           塹壕