美濃の城017  

                                                                               

加賀野城  3672
城址碑

A大垣市加賀野町1丁目
B八幡神社
東海環状自動車道の大垣西インタを下り桧の信号を左折し国道21号線に入ります。約6km先の大島町の信号を右折します。約500m先の十字路を左折し、約100m先の八幡神社に碑があります

C平城
F遺構等:碑
G室町期/後藤氏 
H満足度:凸
築城時期は定かではなく、また、城域も八幡神社周辺と言うことであり、特定できているわけではないようです。城址碑の横に立つ碑の後藤祐乗は、室町期の金工師として有名な方のようです。城は永禄四年(1561年)、大垣城の氏家卜全と三塚城の種田信濃守に攻められ落城したとされます。


J訪城:2020/08
  

三塚城  3673
城址碑
A大垣市三塚町
B幼稚園・真徳寺
名神高速自動車道の大垣インタを下り、国道258号線を北上します。約6.5km先、伝馬町の信号を右折します。約800m先の一方通行の路地に左折します。約200m先の右手の幼稚園の道沿いに城址碑があります。

C平城
F遺構等:碑
G−−期/種田氏 
H満足度:凸
築城時期が定かではないようですが、大垣城の氏家卜全の家臣の種田信濃守兼久の居城と伝わります。元亀二年(1571年)、長島一向衆攻めにおいて、卜全、兼久ともに討死し、氏家行広が三塚城に入ったようです。行広は天正十一年(1583年)に桑名城に転封となりました。


J訪城:2020/08
   

福束城 3674
城址碑
福満寺
A安八郡輪之内町福束
B福満寺
名神高速自動車道の大垣インタを下り、国道258号線を南上します。約1.7km先、横曽根3丁目の信号で左折し県道30号線に入ります。約700m先、揖斐川を渡った先の福束大橋東詰の信号を左折します。約200m先を斜め右に土手を下りていきます。約300m先、白髭神社のとなりの福満寺に城址碑があります。
城は寺の北側にあったようですが、河川改修で消滅しています。

C平城
F遺構等:碑 
G戦国期/丸毛氏 
H満足度:凸
応永二十一年(1414年)、福束益行が築いたとされるようです。正長元年(1428年)、丸毛光慶が居城とし、慶長五年(1600年)の関ケ原の戦いのときには丸毛兼利が城主で西軍に与しました。関ケ原の戦いの前哨戦で東軍に破れ、兼利は大垣城に逃れ、福束城はそのまま廃城になったようです。

J訪城:2020/08

美江寺城  2886
城址碑
城址碑のある所
A瑞穂市美江寺
B中小
東海環状自動車道の大野神戸インタを下り右折し県道53号線に入ります。約2km先、政田溝口の信号を右折します。約2.5km先の田之上倉町の信号を右折します。約400m先の美江寺の信号を直進し約100m右折すると中小学校の正面です。ここから右回りで西側に行くと小公園で城址碑があります。

城址碑と説明板があるのみです。

C平城
F遺構等:碑・説明板
G戦国期/和田氏 
H満足度:凸

応仁・文明年間(1467〜1487年)で文明二年(1470年)頃に土岐氏の家臣の和田八郎が居館を構えたとされます。その後、和田佐渡守、和田伊予守、和田将監高行と継ぎます。高行は土岐頼芸に従い斎藤道三と戦いますが、天文十一年(1542年)、道三方に攻められ落城しました。<現地案内板より>

J訪城:2014/05

大垣小野城(この) 2887
専勝寺
専勝寺寺誌碑(類似説明板)
@古野城
A大垣市小野1丁目
B専勝寺
東海環状自動車道の大垣西インタを下り桧の信号を左折し国道21号線に入ります。約7km先でJRを越えたところで斜め左に下り、県道50号線に入ります。約500m先の小野の信号を左折します。約300m先を左折し、約100m先を左折すると右手に八王子神社、続いて専勝寺で、ここが城跡です。

寺の寺誌碑に城のことが書かれてます。

C平城
F遺構等:類似説明碑
G戦国期/横幕氏 
H満足度:凸

大垣城の氏家卜全の家臣の横幕帯刀信兼の居城と伝わります。明暦年間(1655〜58年)大垣城主の戸田氏信がこの地を寄進し専勝寺が建立されました。

J訪城:2014/05