美濃の城017 ▽
| 加賀野城 3672 |
| 三塚城 3673 |
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A大垣市三塚町 B幼稚園・真徳寺 名神高速自動車道の大垣インタを下り、国道258号線を北上します。約6.5km先、伝馬町の信号を右折します。約800m先の一方通行の路地に左折します。約200m先の右手の幼稚園の道沿いに城址碑があります。 |
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| C平城 F遺構等:碑 G−−期/種田氏 H満足度:凸 築城時期が定かではないようですが、大垣城の氏家卜全の家臣の種田信濃守兼久の居城と伝わります。元亀二年(1571年)、長島一向衆攻めにおいて、卜全、兼久ともに討死し、氏家行広が三塚城に入ったようです。行広は天正十一年(1583年)に桑名城に転封となりました。 |
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| J訪城:2020/08 | ||
| 福束城 3674 |
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A安八郡輪之内町福束 B福満寺 名神高速自動車道の大垣インタを下り、国道258号線を南上します。約1.7km先、横曽根3丁目の信号で左折し県道30号線に入ります。約700m先、揖斐川を渡った先の福束大橋東詰の信号を左折します。約200m先を斜め右に土手を下りていきます。約300m先、白髭神社のとなりの福満寺に城址碑があります。 城は寺の北側にあったようですが、河川改修で消滅しています。 |
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| C平城 F遺構等:碑 G戦国期/丸毛氏 H満足度:凸 応永二十一年(1414年)、福束益行が築いたとされるようです。正長元年(1428年)、丸毛光慶が居城とし、慶長五年(1600年)の関ケ原の戦いのときには丸毛兼利が城主で西軍に与しました。関ケ原の戦いの前哨戦で東軍に破れ、兼利は大垣城に逃れ、福束城はそのまま廃城になったようです。 |
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| J訪城:2020/08 | |||
| 美江寺城 2886 |
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A瑞穂市美江寺 B中小 東海環状自動車道の大野神戸インタを下り右折し県道53号線に入ります。約2km先、政田溝口の信号を右折します。約2.5km先の田之上倉町の信号を右折します。約400m先の美江寺の信号を直進し約100m右折すると中小学校の正面です。ここから右回りで西側に行くと小公園で城址碑があります。 城址碑と説明板があるのみです。 |
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| C平城 F遺構等:碑・説明板 G戦国期/和田氏 H満足度:凸 応仁・文明年間(1467〜1487年)で文明二年(1470年)頃に土岐氏の家臣の和田八郎が居館を構えたとされます。その後、和田佐渡守、和田伊予守、和田将監高行と継ぎます。高行は土岐頼芸に従い斎藤道三と戦いますが、天文十一年(1542年)、道三方に攻められ落城しました。<現地案内板より> |
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| J訪城:2014/05 | |||
| 大垣小野城(この) 2887 |
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@古野城 A大垣市小野1丁目 B専勝寺 東海環状自動車道の大垣西インタを下り桧の信号を左折し国道21号線に入ります。約7km先でJRを越えたところで斜め左に下り、県道50号線に入ります。約500m先の小野の信号を左折します。約300m先を左折し、約100m先を左折すると右手に八王子神社、続いて専勝寺で、ここが城跡です。 寺の寺誌碑に城のことが書かれてます。 |
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| C平城 F遺構等:類似説明碑 G戦国期/横幕氏 H満足度:凸 大垣城の氏家卜全の家臣の横幕帯刀信兼の居城と伝わります。明暦年間(1655〜58年)大垣城主の戸田氏信がこの地を寄進し専勝寺が建立されました。 |
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| J訪城:2014/05 | |||
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