美濃の城016  

                                                                               

津田代官陣屋  3946
長屋門(個人宅)

土塁の名残?
@津田陣屋
A羽島郡笠松町長池
B秋津神社
名神高速道岐阜羽島インタを下り、県道46号で羽島市方面へ進みます。約2Km先の竹鼻町大西の信号を斜め右折して県道151号に入ります。途中から県道1号線に合流します。約6Km先の柳津小学校前の信号を右折し県道154号線に入ります。約2.5Km先の栄町西の信号で右折し県道183号線に入ります。約1.5km先(長池の信号から約300m先)を左折し、約200m先左手です。

個人宅ですので見学には注意してください。長屋門と土塀が残っています。裏手に廻ると丸い石の石垣で固められてますが、元々は土塁?ですかね?


C平城
F遺構等:長屋門・土塁?(母屋・移築)
G江戸期/津田氏 
H満足度:凸
江戸中期、旗本津田氏の代官陣屋として築かれました。津田氏は織田家の庶流で、初代津田秀政は織田信長、滝川一益、織田信雄、豊臣秀吉と主君を替え、秀吉が亡くなった後は徳川家康に与しました。関ケ原の戦いの後、4100石の旗本となりました。代官陣屋は岩越家が代官を務め、明治期には岩越家の所有となったようです。揖斐川町の上善明寺の庫裏は代官屋敷の母屋が移築されているそうです。

J訪城:2023/06
  
青野城  3669
城址碑
城主碑 (教覚寺)
@:稲葉正休屋敷
A大垣市青野町
B教覚寺
東海環状自動車道の大垣西インタを下り、国道21号線に右折し関ケ原方面に進みます。約3.5km先の綾戸の信号で右折し県道228号線に入ります。約2km先で右折し約100m先の左手に城址碑があります。教覚寺は最後の右折をしないで直進しさらに約300m先を左折します。約250m先を右折した左手が教覚寺です。

青野城の正確な位置は判って無いようです。田んぼの真ん中に石碑と正休と思われる墓碑があります。近くの教覚寺に城主碑と説明碑があります。

C平城
F遺構等:碑
G江戸期/稲葉氏 
H満足度:凸
元和四年(1618年)、稲葉正次(春日局の夫の稲葉正勝の子であるが、母は春日局(福)ではない)が五千石を賜った頃に築かれたと思われます。正次の後を弟の正吉が継ぎ、正吉の後を子の正休が継ぎました。正休は天和二年(1682年)に一万二千石となり大名となりました。貞享元年(1684年)、正休は堀田正俊を江戸城内で刺殺し、正休自身もその場で居合わせた他の大名に成敗され、稲葉家は改易となり、廃城になったようで、廃城後、ここの城は青野城と地元で呼ばれるようになったようです。

J訪城:2020/08
   ←教覚寺
   

六之井陣屋 3671
六之井閻魔堂
城域あたり
A揖斐郡池田町六之井
B六之井閻魔堂・正道寺
東海環状自動車道の大野神戸インタを下り左折し県道53号線に入ります。約4km先、北一色西の信号を右折します。約1.5km先、池田高校横で左折、約200m先の池田高校西の信号で右折、約200m先の路地へ左折し、約300m先周辺、正道寺、六之井閻魔堂の向かいあたりが陣屋跡です。

陣屋跡あたりには遺構は無く、加藤氏の菩提寺である月真寺に陣屋の門が移築されてましたが、老朽化のため撤去されたようです。

C平城
F遺構等:なし 
G江戸期/加藤氏 
H満足度:凸
加藤光泰の次男の光直を初代とし、江戸期を通じて十代続いたようです。陣屋の築城は大坂夏の陣くらいの頃のようです。

J訪城:2020/08
月真寺の説明板 【月真寺:揖斐郡大野町公郷 

松尾城 3667 
城址碑
大間見川手前の城跡案内標識
A郡上市大和町大間見
 旧:郡上郡大和町

B丁泉寺・道の駅古今伝授の里やまと
東海北陸自動車道のぎふ大和インタを下り、右折して県道52号線に入ります。約300m先の野口の信号を直進して西河橋を渡ります。橋の先のぎふ大和インタ東の信号を左折し国道156号線に入ります。約3km先の下剣南の信号を右折し県道317号線に入ります。約1km先を右折し大間見川を渡ります。正面の丘が城跡です。橋を渡ってすぐのT字を右折し道なりに進みます。約100m先の左手が城跡です。

丘の頂部の平坦地(主郭)に唐突に城址碑がありました。

C平城
F遺構等:郭・城址碑 城跡案内標識
G−−期/野田氏 
H満足度:凸
築城時期は定かではないです。東氏の一族の野田氏が築いたとされます。土岐氏の家臣の池田将監に攻められ落城したとされます。

J訪城:2020/08