伊豆 下田城



ファイルNo2643


                        堀切    

@ しもだじょう 
  別名 鵜嶋城 

A住所:下田市三丁目
B目標地点:下田公園
C形式:平山城  D比高:60m 
E現況:公園・山林

F遺構等:郭・土塁・堀・堀切・碑・説明板
G時代/人物:南北朝期?/ーーー
H満足度: 凸凸☆
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2011年05月

  

道案内  

三島市の国道1号線の南二日町立体信号から国道136号線に入ります。30km先、伊豆市の出口の信号で国道414号線に入ります。さらに25km先、河津町の下佐ケ野の信号で国道は右折ですが直進して県道14号線に入ります。5km先、河津町の谷津の信号を右折し国道135号線に入ります。10km先、下田市の伊豆急下田駅そば、国道135号線、414号線、136号線が交差する中島橋の信号から国道136号線で南伊豆町方面に進みます。1.2km先、下田南高校前の信号で左折し県道117号線に入ります。800m先、下田公園駐車場です。
 
訪城備忘録

下田港の南の丘陵が下田城です。現在は下田公園となり、麓の駐車場から登ります。公園化されているため、いまいち中腹の遺構がわかりにくいなぁという印象です。また、主郭などの郭も明瞭な土塁があるというわけでもなく、いまいちわかりにくい感じではあります。しかし、主郭、二の郭の間の堀切(現在は切通し状)、南側の空堀はわりと明瞭に残っていました。この空堀、畝堀との事で、確かに堀の中に遮蔽がありますが、私には解りにくい感じでした。

主郭下の城址碑
歴史

築城時期、築城者は不明です。一説には南北朝期に地元豪族が築城したとされます。戦国期、北条氏の支配となった伊豆において、天正十六年(1588年)に北条氏直は伊豆奥郡代の清水康英に下田城の大改修を命じたとされます。天正十八年(1590年)の豊臣秀吉の小田原攻めの際、豊臣勢に攻められ開城、徳川氏の関東移封後、戸田氏が5千石で入りましたが、慶長六年(1601年)に戸田氏が三河田原に移封となって城も廃城になったとされます。

空堀
現地案内板より     下田市内遠望
 馬場ケ崎からの眺望     和歌ノ浦遊歩道からの眺望
  
主要部の郭
現地案内板より                    空堀   

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