伊豆 狩野城



ファイルNo2378


                 中郭及び南郭の土塁状の高まり     

@ かのじょう(かのうじょう) 
  別名 

A住所:伊豆市湯ケ島町本柿木
    旧:田方郡天城湯ケ島町

B目標地点:下柿木バス停
C形式:山城  D比高:60m(林道から) 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀・堀切・説明板・碑
G時代/人物:平安期/狩野氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  林道入口から15分
J撮影・訪問時期:2010年01月

  

道案内  

伊豆スカイラインの冷川インタを下り、県道12号線を修善寺に向かいます。3.5km先の八幡東の信号で県道59号との分岐がありますが、そのまま県道12号線を進みます。さらに、8.5km先ぼ信号で左折し国道138号線に入ります。1.5km先で修善寺道路の修善寺インタを越え、修善寺インタから5km先、柿木橋の手前で右折します。すぐに橋を渡り、700mほど先の(下柿木のバス停から300mほど手前)左手、本柿木農林公園の駐車場から登れてます。または、橋から、1km先下柿木のバス停で左折し細い道を山へ進みます。300m先の右手に作業小屋があり、その前に林道があり、「狩野城生活環境保全林」という大きな標識があります。この道に入り、300mほどで左手丘陵へ階段状の山道があります。この上が城跡です。
 
訪城備忘録

城域は東西の丘陵上と主要部は南に張り出した尾根上に展開しています。郭名は現地の表記に従います。西尾根から遊歩道を進みますと、まずは大きな堀切があります。これを越えると西郭で、さらに二重の堀切を越えると本郭(主郭)です。本郭といっても他の郭に比べ小さいものです。本郭は城域の中心にあり、明瞭な土塁が残るのはこの郭だけですが、なんとも大きさに違和感が有ります。東へ土橋状を渡るとさらに大きな堀切があり、中郭がそびえています。左手に廻ると堀切がまたあり、東郭があります。東郭は郭というほどの広さは無く、櫓台のような盛り上がりと北へL字に竪堀状の通路が延びています。東郭の東側は出丸との大きな堀切がありました。戻って中郭に登ります。中郭はこの城では一番広く、南側に大土塁の高まりがあり、先端は南郭です。南郭の西下には段郭が二つ並行に並んでいるのが見えます。中郭が主郭ではないかと思われます。本郭と中郭の間の堀切を下りると水手です。城跡は整備され、堀切も深く明瞭に残っていて、見応えが有りました。
国道138号線をさらに南へ進み、国道414号に入り南下すると天城峠です。手前に浄蓮の滝があります。国道分岐点から浄蓮の滝まで13kmほど、天城峠まで18kmほどです。

説明板より
歴史

藤原南家の工藤為憲の孫の維景が城を築き、狩野氏を名乗ったとされます。治承四年(1180年)、狩野茂光は源頼朝の挙兵に従いますが、石橋山の戦いで平家に破れ、茂光は戦死し狩野城も落城したようです。その後、頼朝が安房から平家に反抗し、鎌倉幕府を開きますが、茂光の子の親光は奥羽の戦いで戦死し、親光の子の親成が狩野城を再築したようです。この後、狩野氏累代の城となりましたが、延徳三年(1491年)に狩野道一は北条早雲に抗して落城しましたが、以後は北条氏に従いました。天正十八年(1590年)の小田原の役の際に廃城になったようです。一族からは絵師の狩野正信(狩野派始祖)が出ています。

  堀切         本郭(主郭)土塁
西尾根端(遺構かは?)
西郭手前の堀切
 西郭       二重堀切
中郭の切岸と手前は堀切    堀切越しに東郭   
東郭と通路的な堀    大堀切  
南郭から中郭を見る     中郭土塁と城址碑
南郭の西下の堀切と段郭     もうひとつの段郭
本郭と中郭の間の深い連続堀切 
天城越え 
 浄蓮の滝       天城峠周辺案内板
天城隧道      隧道内

近くの城・関連の城: