駿河/ 葛山城



ファイルNo1426

東西の二重堀切が明瞭で見事です

                            西の二重堀切の一条

@ かずらやまじょう 
  別名 

A住所:裾野市葛山 
B目標地点:仙年寺
C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林 

F遺構等:郭・堀切・竪堀・土塁・碑・説明板
G時代/人物:室町期/葛山氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  寺より10分

J撮影・訪問時期:2006年05月

  
二の郭から西の二重堀切

【道案内】 

東名高速道裾野インタを下り、県道62号線で国道1号線に向かい、国道1号線との信号で右折します。2.1Km先の黄瀬川を新柳端橋で渡ってすぐの信号を右折します。500m先で県道24号線で、ここを右折し県道24号線に入ります。200m先の信号のところで県道24号線は右カーブですが直進の道に入ります。(左手が富岡中学です)(あるいは、新柳端橋から500m先の御宿平山の信号で右折し、すぐをまた右折して県道24号線に入り800m先が富岡中学前です。)200m先で東名高速道のガードを越えて300m先の左手道路沿いに葛山館があります。その先100mほどで右折し山の麓の仙念寺まで行きます。この寺の裏手より登ります。東の山裾から大手道となりここよりも登れます。

  


【現況・訪城記録】

主郭を挟んで東西の二重堀切が残ります。特に西の二重堀切は見事です。主郭と二の郭には土塁が巡り、主郭・二の郭の南斜面には帯郭があり、その先の南・西側斜面に竪堀がありますが、訪城時は藪状態で確認できませんでした。帯郭から二の郭への虎口は折れのある虎口になっていました。また、現地説明板に主郭北側の斜面には畝状竪堀があると記してありましたが、とても判別はできませんでした。



【歴史】

大森氏の支族の葛山氏の詰城です。葛山氏は今川氏に属しますが、半独立的立場であったようです。今川義元が桶狭間で敗死し今川氏が衰退すると、北条氏と武田氏に挟まれ苦境に陥りました。葛山氏元は永禄十一年(1568年)には武田氏の駿河侵攻を手引きしますが、今川氏を救援した北条氏に攻められ落城しました。氏元は武田信玄の子の信貞を養子に向かえた後、武田軍は元亀元年(1570年)に深沢城を落とし葛山氏は旧領に復帰しますが武田氏の支配は変わりませんでした。武田氏は天正十年(1582年)に滅亡、葛山氏を名乗った信貞も討死したとされます。


  
主郭
  
東の堀切(二重の一条)
     
  

近くの城・関連の城: 葛山館

          

現地案内板より
城跡遠景             城主一族の墓