駿河/ 花倉城



ファイルNo1316

今川氏初期本城詰城

                          東側尾根上の土橋(駐車場そば)  

@ はなくらじょう 
  別名 葉梨城

A住所:藤枝市花倉 
B目標地点: 
C形式:山城  D比高:250m 
E現況:山林 

F遺構等:郭・堀切・竪堀・土塁・土橋・碑・説明板 
G時代/人物:室町期/今川氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  中腹説明板のところから10分

J撮影・訪問時期:2006年01月

  
堀切

【道案内】 

国道1号線藤枝バイパスの薮田西インタを下り、県道215号に右折し進みます。900m先の葉梨小学校の先の信号を左折します。300m先の橋の手前を右折し花倉川沿いを進みます。700m先で橋を渡り、川を右手にさらに川沿いを道なりに進みます。800m先で新東名自動車道を越えます。川を右手にさらに川沿いを道なりに進みます。 川は半谷川となります。町内会館の前で花倉城まで3Kmの標識が出ます。ここから1Km先に右手に池がある所で左折してそこから山道に入ります。「2km」の標識があります。茶畑の間の道を登ることになります。1.5Km手前で道は直進と右折の道を右折、1Km手前で直進と左折の道を左折、500m手前で直進と左折の道を左折します。道は乗用車1台程度の幅の道です。500m手前から尾根上を進みますが左斜め前方に城跡の山が見えます。この道の突き当りが登城口でお茶の作業小屋と城の説明板があり、車が数台止められます。ここより比高80mほど10分ほどで主郭です。



【訪城備忘録】

東の尾根から登ることになります。登り始めるとすぐに大きな土橋があります。土橋と言うか一騎駆けのような感じです。しばらく登ると堀切と土橋があり、その上が二の郭に至ります。二の郭は円形に近く周囲を低い土塁が巡ります。二の郭前面及び二の郭と主郭の間に明瞭な堀切があります。主郭は土塁も無く二の郭に比べ単調です。背後に物見台の高まりがあります。二の郭の南西尾根は妙に平らな感じで植林等のためでしょうか?この尾根からあるいは二の郭からの眺望は最高です。麓の長慶寺には泰範の墓がありますが、この東側が高い土塁があり城館のように見えます。花倉城の居館は長慶寺の西にある遍照寺の付近とされています。

【歴史】

今川範国が駿河守護として大津城を拠点とし、その子の範氏が文和二年(1353年)に花倉に居館を構え、詰城として花倉城を築いたとされます。氏家、泰範、範政と続き、応永十八年(1411年)に範政が駿府に本拠地を移しました。天文五年(1536年)に今川氏輝が死去し、次男の良真と三男の承芳(義元)の相続争いとなり、これを花倉の乱と呼ばれます。今川家臣団は義元に付き、良真は花倉城に抗戦しましたが落城、その後に城は廃城になりました。


  
二の郭
  
堀切
  
  
現地案内板より
  二の郭東下の堀切と土橋         主郭    
土橋
城跡よりの眺望
花倉城遠望(真ん中のピークが城跡)     長慶寺の土塁    
今川泰範と太原雪斎の墓        長慶寺  

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