遠江/ 舟ケ谷城



ファイルNo1308


                          虎口風箇所  

@ ふながやじょう 
  別名 新野<ニイノ>新城 

A住所:御前崎市新野藤ケ谷舟ケ谷
     旧:小笠郡浜岡町

B目標地点:
C形式:山城  D比高:80m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀・土塁
G時代/人物:戦国期/新野氏?
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2006年01月

  

道案内 

東名高速道路菊川インタを下り、右折し県道37号線に入ります。13km先、佐栗谷のY字で左に行きます。佐栗谷トンネルを越えて600m先のT字交差点で左折します。800m先の左手、御前崎市新野こどもの里(旧:新野幼稚園)<左手は高橋の城>のところで右折します。(この道は県道37号線小笠南小前で左折し、道なり塩買坂トンネルを越えて来た道です)600m先で左折します。1Km先左手周辺から登ります。
 
訪城備忘録

最後の左折から道を進みますと、200m先から800mまでの左手の山が城跡ですが、道が見当たりません。一番北側の斜面は茶畑になっていたので、この付近から適当に山中に入って、尾根を南へ向かって進みました。
尾根状には連続して堀切があり、規模としては小さいものの、鋭さという点では鋭角な斜面は今も健在という感じです。尾根を進んで行くと、今までは尾根遮断の堀切のみでしたが、横堀状の地形と虎口状に土塁が突き出した箇所に至ります。この付近の尾根上が主郭付近であるようですが、尾根上には広い郭となるような平坦地が見当たりません。これは資料では土石採取のため消滅したとの事です。

北側の堀切
歴史

新野新城という名からして、高橋の城を新野古城として新野氏の城とするならば、新野氏関連の城ということになるのかもしれませんが、詳細は不明です。

新野氏は今川氏の一族のようです。史料には、新野左馬助親矩が永禄七年(1564年)に引馬城の飯尾連竜を攻めて討ち死にしたとあるようです。左馬助は井伊直政の父直親が永禄五年(1562年)に掛川城において朝比奈備中守に殺害された際、直政(寅松)を救い、その後、新野家が直政を養育したという逸話があるようです。

堀切
郭の一部?            堀切
  

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