遠江 小笠山砦



ファイルNo1273

                            

@ おがさやまとりで 
  別名  

A住所:掛川市入山瀬〜上内田
B目標地点:小笠神社
C形式:山城  D比高:170m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・堀・土塁・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/徳川氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  小笠神社から15分

J撮影・訪問時期:2019年01月

  

道案内 ←小笠神社駐車場

東名高速自動車道の掛川インタを下り、信号を右折します。すぐの上張南の信号で左折し県道38号線に入ります。約4km先の上内田の信号を斜め右手が県道38号線です。約1km先の子隣の信号で右折し、県道249号線に入ります。約3.8km先、右折し県道251号線に入ります。すぐの小さな川を渡って右折します。この角に小笠山の案内板があります。道なりに山道を登って行き、約2.4km先が小笠神社の駐車場です。鳥居をくぐり、けっこうきつい石段を登っていくと駐車場から約300mで小笠神社の本殿に至ります。社務所の建物の右手奥へ約700mほど進んでいくと小笠山へ至ります。小笠神社も往時は郭の一部と推測されます。この神社から小笠山までに遺構が残ります。
 
訪城備忘録

2002年に訪城しましたが、雨だったこともあったんですが早々に撤退したんで、記憶に残ってなくて再訪しました。小笠神社から少し登ると右手に空堀が見えます。空堀は北側へと回り込んで続いています。さらに登ると大きな堀切があり、ここに城址碑が立ちます。その先の平坦地が笹ノ峰御殿と呼ばれる主郭です。さらに先に進むと右手上に平坦地が見え、その上に東屋か建ちます。ここは削り残しの土塁のような尾根で細尾根になっていて先には多聞神社の奥殿があります。そこを下がると多聞神社で、その前は馬出遺構と言われます。山道と多聞神社の間にも堀状があり、これは遺構なんだろうかは?です。馬出前に大きな堀切(空堀)、その先も堀の二重になってます。西側には斜面に空堀があり、山道のところで90度曲がりL字の空堀になってます。このふたつの間に山道があり、南西尾根につながりますが。土橋状になってます。この辺の山道はどこまで往時の道のものなのか?ですが、土橋状の道は往時のものを踏襲している感じですね。馬出横から山頂に向かう道があります。一騎駆けのような細尾根が山頂手前まであります。左手下を見ると空堀土塁状の箇所があり、山頂手前左手に削平地があります。山頂もそこそこの平坦地です。山頂の先に小郭があり、山頂との間は堀切状になってます。この辺もなんらかの砦遺構ではないでしょうか。結局、笹ノ峰周辺、多聞神社周辺、山頂周辺に多聞神社から南西に延びる尾根上の4か所に遺構は展開しているようです。

城址碑
歴史

永禄十一年(1568年)、駿府を逃れた今川氏真が掛川城に入り、その掛川城を徳川家康が攻城するために築かれたとされます。天正七年(1579年)頃、再びここを砦と使い、高天神城を包囲する六砦のひとつであり、その中では最大の規模でした。天正九年(1581年)に高天神城は落ちました。

笹ケ峰御殿と小笠神社の間の堀       多聞神社横の堀      
小笠神社からの眺望
小笠神社から高天神城を遠望
小笠神社
  
空堀
堀切
笹ノ峰御殿(主郭)
多聞神社そばの平坦地      東屋からの眺望
馬出?     土橋?
堀切
傾斜のある空堀
堀切
山頂への一騎駆け状の道      空堀土塁形状    
山頂下の平坦地       小笠山山頂
  上から   小笠山山頂と小郭の間の堀切   下から
小郭より掛川城
   
現地説明板より

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