遠江/ 三岳城



ファイルNo1269

井伊氏の詰め城

        西の郭の石垣

@ みたけじょう 
  別名 三嶽城 

A住所:浜松市北区引佐町三岳
     旧:引佐郡引佐町

B目標地点:三岳神社 
C形式:山城  D比高:400m 
E現況:山林 

F遺構等:郭・石垣土塁・堀・石碑・説明板
G時代/人物:南北朝期/井伊氏
H満足度: 凸凸+☆
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  中腹の三岳神社比高150mで25分

J撮影・訪問時期:2002年12月・2016年12月 他

  
主郭

【道案内】 登り口  城跡

東名高速道浜松西インタを下り、料金所から左折し県道65号線に入ります。3.5km先の三方原町の信号で左折し国道257号線に入ります。国道257号線は6Km先(金指駅そば)で左折し、さらに1km先の金指西の信号で右折します。2.5km先の井伊谷の信号で右折します。ここから道なりに5kmほど進みます。何箇所かに三岳城の標識があります。中腹の三岳神社まで行き、ここに登城道があります。

新東名高速道路いなさインターからでうと、インターから国道257号線を井伊谷方面に約9km先が井伊谷の信号で左折します。



【訪城備忘録】

出丸である三岳神社より登ります。けっこう木の根が張った、岩場の急坂の道を登ります。尾根に登り、左手側が主郭です。主郭は眺望はすばらしいのですが、明瞭な遺構があるという感じではありません。西の郭側に下りていくと、大きな石が散乱していて、段郭が大きな半円状に巡る箇所に至ります。この段郭土塁の内側に何箇所か規模の大きな石垣が残ります。 この石積みはこの城としては唐突な感じはします。また、最初の尾根の分岐点を右に行くと二の城(別郭)ですが、ここも遺構と言う点では不明瞭でした。しかし、この城の主郭からの眺望は、遠くに浜松市・遠州灘、浜名湖が見渡せ、城跡からの眺望の十の指には入るかな^^V
2016年に夕方に訪城しました。夕焼けが綺麗でしたが、下山では足元が見えなくなり、危険でした・・・^^;

【歴史】

井伊谷(いいのや)を拠点とする井伊氏の詰城です。延元三年<北朝暦/暦応元年>(1338年)に後醍醐天皇の皇子の宗良親王が再び伊勢より井伊谷に入られ、この城を南朝勢力の遠江での軍事上の拠点となされました。北朝足利尊氏方の高師康・高師冬・高師兼・仁木義長の大軍に攻められ、ついに興国元年<暦応三年>(1340年)に落城しました。宗良親王は駿河の安倍城に移られたものと推定されています。その後、元遠江守護であった美濃の斯波義達が遠江奪還のため井伊谷に入り、引馬城大河内貞綱と井伊氏がこれに味方しました。今川氏親は細江町の刑部城と堀川城に伊達忠宗を入れて前進基地として、三岳城を攻めました。永正十年(1513年)に朝比奈泰以を主力とする今川勢の総攻撃によって落城し、井伊氏は一時没落しました。<現地案内板より>

二の城
  
  
城址碑と眺望
  
石垣・土塁
  
現地説明板より
    
城址碑
主郭から浜松市内・遠州灘方面眺望
  
鞍部                    桝形虎口
二の郭
主郭
西の郭石積み
西の郭上の段郭
西の郭下の段郭端の石積み

近くの城・関連の城:井伊谷城

          

主郭から浜名湖方面の眺望 2002年