遠江 井伊谷城



ファイルNo1268

井伊氏発祥の地(本貫地)・女城主直虎の舞台

        主郭(山頂)

@ いいのやじょう 
  別名:井伊城  

A住所:浜松市北区引佐町井伊谷
    旧:引佐郡引佐町

B目標地点:引佐図書館
C形式:山城  D比高:80m 
E現況:山林・公園

F遺構等:郭・土壇・碑・説明板
G時代/人物:南北朝期/井伊氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  登り口から10分

J撮影・訪問時期:2016年12月

  

道案内 

新東名高速道路いなさインターからでうと、インターから国道257号線を井伊谷方面に約9km先が井伊谷上の信号で右折します。約300m先を右折します。100m先左手が引佐図書館、その先の100m、引佐多目的センターの裏手に登り口があります。
井伊氏居館は井伊谷上の信号を右折したら50m先を再度右折、100m先左手が四区公民館でここに説明板があり、この北側一帯が居館跡です。
 
訪城備忘録

2002年以来、14年ぶりに訪れました。2017年にはNHKの大河ドラマが井伊直虎で再度確認しておきたかったからですが、三岳城に比べ、見るところは少ないです。山頂に大きな削平地と一段上がった御殿地が残るのみです。麓の居館についても住宅地となり遺構はありませんが、道が当時の堀跡通りにあるのが興味深いです。龍潭寺には井伊直虎や一族、家臣の墓が多くありますが、井伊氏墓所にまとまっている歴代当主などの墓は江戸期に彦根井伊家によって整備されたもののようです。

城址碑
歴史

井伊家の始祖は井伊共保とされ、平安時代、万寿九年(1032年)に井伊谷城を築城したとされるようです。その後、井伊谷は井伊氏の本拠となり、南北朝期、井伊氏は南朝方で、延元三年<北朝暦/暦応元年>(1338年)に後醍醐天皇の皇子の宗良親王が井伊谷に入られ、井伊道政が従いました。興国元年<暦応三年>(1340年)に北朝方に攻められ落城しました。 その後も井伊氏は井伊谷を本拠とし、室町期に入り、二十代・直平、二十二代・直盛、二十三代・直親と続きますが、直盛は桶狭間で戦死、直親は今川方の朝比奈氏に殺害され、直平も社山城の戦いで討死し、次々に当主が死去する事で、幼い虎松(直政)が当主になるまでの間、直盛の娘が直虎と名乗り一時当主並みに就いたとされます。しかし、永禄九年(1566年)に井伊氏は今川氏にいったんから没落されられたようです。成長した虎松は天正三年(1575年)に徳川家康に従い、名を万千代と名乗り、家康の小姓となりました。その後の活躍で井伊谷を回復し、井伊家は再興しました。 天正十八年(1590年)、徳川家康の関東移封に従い、直政は上野箕輪城に12万石で移りました。


  説明板  井伊氏居館         
 前の道が堀跡・住宅の間が南大手門・後方の山が井伊谷山
井伊氏居館の図(現地案内板より)
主郭からの眺望
龍潭寺(りょうたんじ) 
龍潭寺庭園
龍潭寺庭園
山門                 本堂
井伊氏墓所(左側二つ目が井伊直虎墓)           真ん中が井伊直虎墓碑
龍潭寺本堂内
龍潭寺

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