遠江/ 諏訪原城



ファイルNo1266

巨大な空堀・三日月堀が圧巻の城

            外堀(五号堀)

@ すわはらじょう 
  別名 牧野城、牧野原城、扇城 金谷城? 

A住所:島田市菊川牧の原
     旧:榛原郡金谷町

B目標地点: 
C形式:山城  D比高:75m 
E現況:山林・茶畑・公園 

F遺構等:郭・土塁・堀・三日月堀・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/武田氏
H満足度: 凸凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  ビジターセンタ駐車場から10分
J撮影・訪問時期:2002年07月・2006年06月
        2016年05月・2024年03月

  
4号堀
5号堀 2006年

【道案内】  

新東名高速道の島田金谷インタを下りた場合は、国道473号を南に進み、約3.6km先の金谷扇町の信号で国道は右折です。約200m先の宮崎町の信号で直進し県道381号線に入ります。道なりに約2.6km先を左折し県道254号線に入ります。約500m先を斜め左に入るとすぐ左手に駐車場があります。 (国道1号線ですと城跡下を通る牧之原第三トンネルと中山トンネルの間で県道381号線に入るのがいいんでしょう。)



【訪城備忘録】

2006年、単身赴任の最終日に近い日曜日の夕方、城跡に隣接した集落の中にある喫茶店で時を過ごしました。 自家焙煎の洒落たお店だったけど、この地で商売として成り立つんかなって他人事ながら心配ですな。この喫茶店2016年、2024年も営業されていました。けっこう繁盛されてますねぇ。^^V

さて、城跡ですが、2006年から10年ぶりに2016年に再訪しました。木々の伐採などされ、西の巨大な三日月堀、馬出しなどが見学できるようになってました。中馬出しの巨大な深い堀(三号堀)は、以前と見違える姿、牧の原台地の先端に描かれた芸術品のようです。巨大な馬出しは神社のある南側、その東側に、中馬出し、南馬出し、東馬出しの三連続の重ね馬出し、城域の西側にも巨大な三日月堀を伴う中馬出しとその北側に北馬出しがあり、二の丸(郭)、(三の丸(郭))、本丸(主郭)を深く、巨大な外堀が取り囲んでいます。各馬出しの土橋も明瞭に残っています。本丸(主郭)の西側には自然地形を利用した内堀とそれに架かる土橋が明瞭です。本丸(主郭)は一段下がった感じの構造で中心に巨大な櫓台の盛り上りがあります。本丸(主郭)の東側が台地の端になり、搦め手となっていて、急な崖でありながら本丸(主郭)の直下には二重の横掘があります。本丸(主郭)の南側を降りて行くと本丸(主郭)と二の丸(郭)の間の内堀端にカンカン井戸と呼ばれる井戸があります。反対側の沢は水の手とされるところで今も水が湧いています。とにかく、主要部を取り巻く堀の大きさ、深さ、丸馬出しの大きさ、三日月堀の大きさに圧倒される城跡です。

2024年に再訪しました。北馬出門が復元(2017年)されてましたので見に行きました。ビジターセンタも出来ていて充実ぶりがすごいです。時期もあるんでしょうが、三号堀の三日月堀と巨大な中馬出が丸裸状態でした。

【歴史】

天正元年(1573年)武田勝頼が馬場美濃守信春(氏勝)に命じ築城したとされます。永禄十二年(1569年)に今川氏が滅亡、元亀三年(1572年)に三方が原の戦い、天正元年(1573年)に武田信玄死去という状況の中、駿河・遠江の境の拠点としての築城と考えられます。<永禄十二年(1570年)に信玄が馬場美濃守に命じたという説もあるようですが。> 天正三年(1575年)の長篠の戦い後に徳川家康は諏訪原城を攻め、これを落として、松平康親が城将として入りました。天正十年(1582年)に武田氏滅亡後、天正十八年(1590年)には廃城になったとされます。

この城の丸馬出しは武田氏の手か?徳川氏の手か? 馬場美濃守築城と言われると武田氏築城術かと単純に思ってしまうんですが、必ずしもそうではないようで、この土木量を遠征の武田氏がやりきれるだろうか?時間的にも可能だろうか? 徳川にも佐久城など丸馬出しの築城技術があります。今は徳川氏の手が有力のようですが・・・。
  
9号堀土橋 2006年
  
城址碑
  
本丸西側堀(5号堀)       東馬出し横堀(14号堀と土橋)
3号堀と中馬出し(西側の馬出し)
巨大な三日月堀(12号堀)堀底から(2006年)
現地説明板より
ビジターセンターのジオラマ
もっと諏訪原城  
以前の現地説明板より
大手南外堀(11号堀南側)
二の郭大手馬出し三日月堀(12号堀)
4号堀
大手北外堀(11号堀北側)
大手馬出しと堀(4号堀)・土橋
大手北外堀(11号堀北側)          城址碑
3号堀と中馬出し(西側の馬出し)
3号堀と中馬出し(西側の馬出し)
3号堀と中馬出し(西側の馬出し)
中馬出し(西側の馬出し)
3号堀と中馬出し(西側の馬出し)
中馬出し(西側の馬出し)<4号堀と2号堀の間の土橋>
外堀に架かる土橋(2号堀と4号堀の間)
1号堀・北馬出し(右側)
北馬出の復元門
北馬出の復元門
2号堀
本丸(主郭)の茂みを見る、手前二の郭
本丸(主郭)への土橋・手前6号堀<6号堀は自然谷を加工したもの>
本丸・向こうは一段下がって天主台地
本丸
本丸からの眺望
搦め手側堀(16号堀)<本丸から>
搦め手側堀(16号堀)
17号堀
カンカン井戸と向こうは6号堀
カンカン井戸の裏手の6号堀
南馬出しと土橋・右手は9号堀
左手/9号堀・土橋・右手/4号堀
左手/4号堀・土橋・右手/9号堀
東内馬出し         東馬出しへの土橋
9号堀
9号堀
13号堀
14号堀と向こうは土橋
左/東内馬出し 中/14号堀と向こうは土橋 右/東馬出し
14号堀と向こうは土橋
東馬出し     土橋
二の郭東内馬出し
9号堀
12号堀

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