遠江/ 横須賀城



ファイルNo1261

川の丸石を使った石垣のある城

             整備された主要部石垣   

@ よこすかじょう 
  別名 松尾城 

A住所:掛川市横須賀〜西大淵
    旧:小笠郡大須賀町 

B目標地点: 
C形式:平山城  D比高:20m 
E現況:公園・宅地・田畑 

F遺構等:郭・石垣・堀・碑・説明板 
G時代/人物:戦国期/大須賀氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  公園駐車場から5分

J撮影・訪問時期:2002年06月・2006年03月 

  
本丸

【道案内】 

東名高速道路の袋井インタを下り、右折し県道61号線に入ります。800m先で国道1号線を越え、1km先の川井の信号を左折、700m先の川井東の信号を右折し県道41号線を進みます。600m先で原野谷川を越え、JR東海道線、東海道新幹線のガードを越えて、ここより道なりに12Km先左手が城跡です。 高天神城からは県道69号線で、海岸沿いの国道150号線の弁財天川橋の信号から県道41号線に入っても行けます。



【現況・訪城備忘録】

石垣は復元・積み直しされておりますが、丸石を使ってあり、変わった石垣の城です。主要部は綺麗に復元整備されており城跡という感じよりは公園という感じがしてしまいます。北の丸の東側は松尾山と呼び初期の城跡とされます。2002年に訪城した際、発掘調査をされていましたが、2006年の際もブルーシートが至る所に掛けられていましたが、作業が継続されているという感じではなかったです。城跡周囲に門が二箇所移築され、また、油山寺には書院が移築されています。

【歴史】

天正六年(1578年)に徳川家康は大須賀康高に命じ高天神城攻略の拠点として横須賀城を築かせました。天正九年(1581年)に高天神城が落城し廃城となると、横須賀城が遠州南部の拠点となりました。二代忠政の時の天正十八年(1590年)に家康の関東移封に伴い、大須賀氏も上総に移りました。その後、渡瀬氏・有馬氏が城主となり、関が原の戦い後には再び大須賀氏が城主となりました。その後、能見松平氏・井上氏・本多氏の城主を経て、天和二年(1682年)に西尾忠成が二万石で入封しました。二代の忠尚の時に五千石を加増され二万五千石となり、以後、明治維新まで西尾氏の居城として続きました。


書院(移築/油山寺)
  
  
  
  

近くの城・関連の城:

          

北の郭     三日月池
松尾山(松尾古城)
横須賀城梅園    松尾古城主郭
不明門(移築/撰要寺)      本丸下