伊豆/ 韮山城



ファイルNo1249

北条早雲(伊勢新九郎長氏)が関東制覇に発進した城・そして、早雲隠居の城

                                 塩倉の土塁 2001年撮影     

@ にらやまじょう ▽
  別名 

A住所:伊豆の国市韮山韮山
    旧:田方郡韮山町韮山

B目標地点:郷土資料館・韮山高校・江川邸
C形式:平山城  D比高:40m 
E現況:山林:公園

F遺構等:郭・土塁・堀・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/外山氏・北条氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  資料館より10分

J撮影・訪問時期:2001年04月。2011年07月

  

道案内 

東名高速道沼津インタを下り、4.2km先の上石田で国道1号線に入り伊豆方面に向かいます。6.5km先、南二日町インタで側道から右折し国道136号線に入ります。10km先、四日町の信号で左折します。1.7km先の信号で右折し江川邸を目指します。1km先が江川邸で手前に駐車場があり、駐車場から西の遊歩道を進み、貯水池の堤防を渡った先の丘陵が城跡です。
 
訪城記録

韮山の東側丘陵に城跡はあり、江川邸駐車場から遊歩道を通り、往時は沼地であった城池の堤防を西に進んで越えると城跡です。城のある丘陵の西側麓には御屋敷がありましたが、今は韮山高校です。三の丸(郭)は韮山高校のテニスコートにはなってますが、周囲を土塁が巡ります。権現郭、二の丸(郭)にも土塁が残り、二の丸(郭)と本丸(主郭)の間には堀切と土橋が残ります。本丸(主郭)の先は塩倉ですが、塩倉の囲み土塁が印象的です。また、城池(沼)の南側尾根先端にも堀切などが残ります。

主郭
歴史

北条早雲(伊勢新九郎)は延徳三年(1491年)に堀越公方足利茶々丸を滅ぼし、韮山城を大改修して本拠としました。明応四年(1495年)に小田原城の大森藤頼を滅ぼして本拠を小田原城に移しますが、早雲はここを隠居城として居城し、永正三年(1506年)にこの地で没しました。その後は北条氏の伊豆支配の拠点として続きましたが、天正十八年(1590年)の豊臣秀吉の小田原攻めで、韮山城は北条氏規が守り、北条氏滅亡後は内藤信成が居城しましたが、慶長六年(1601年)に廃城となりました。

権現郭土塁               二の丸(郭)土塁
沼越えに城跡             現地案内板より
  
池の南側の堀切
水堀            三の郭の堀切
三の郭土塁              三の郭
権現郭を見る
塩倉遠望
堀切土橋             塩倉

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