駿河/    興国寺



ファイルNo1248


            主郭背後大空堀   

@ こうこくじじょう ▽
  別名 

A住所:沼津市根古屋
B目標地点:
C形式:平山城  D比高:30m 
E現況:公園・神社・畑・宅地・雑木林

F遺構等:郭・土塁・堀・天守台・石垣・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/伊勢氏(北条氏)など
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2001年04月・2006年03月

  

道案内 

沼津市街地から国道1号線の原東町の信号を右折し県道165号線し進み、根小屋の信号を右折し県道22号線に入り100m先の東根古屋のバス停・倉庫会社の倉庫のところを左折した300m先です。

   
訪城備忘録・歴史

高い土塁にU字に囲まれる主郭・二の郭(居館部分)、北側の丘陵先端の大土塁には天守台の石垣が残存し、その後方には、丘陵を遮断する大きな空堀が残ります。


北条早雲が初めて城主となった城です。早雲は伊勢新九郎長氏と称し、駿河守護今川義忠の側室であった妹を頼って今川家に身を寄せていましたが、義忠の急死後の今川家の相続争いをまとめた功績により、この城を与えられました。延徳三年(1491年)に堀越公方足利茶々丸を滅ぼし、韮山城を大改修して本拠として移りました。天文年間(1532〜54年)今川義元が大改修したとされます。永禄年間は北条氏の持城となり、元亀年間からは武田氏の持城となっていました。天正十年(1582年)に武田勝頼が滅亡、武田方の城主の曽根下野守正清が開城し、徳川方の城となりました。天正十八年(1590年)の家康の関東移封後は豊臣秀吉の家臣である中村一氏の家臣の河毛重次が城主となりました。関ヶ原合戦後は、三河三奉行の一人の「どちへんなしの三郎兵衛」と呼ばれた天野三郎兵衛康景が城主となりましたが、慶長十二年(1607年)康景の逐電により廃城となりました。

大空堀                天守台石垣
2006年3月現地説明会時
発掘調査現場
石垣                     土塁
大空堀

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