福井の城003/  

                                                                               

平泉寺  1733  へいせんじ

A勝山市平泉寺町
B白山神社平泉寺
国道157号線の猪野の信号で左折し県道132号線に入ります。案内標識に従い2.5Km先です。
C山城(城郭寺院)
F遺構等:郭・土塁 
G期/氏 
H満足度:凸
泰澄大師が養老元年(717年)に開基したとされます。天正二年(1574年)に一向一揆に攻められ寺は焼失しました。十一年後に顕海僧正が再興しました。
J訪城:2006/02
  
小黒丸城  1784 おぐろまる
城址碑

A福井市黒丸町
B
国道416号の高屋橋手前で国道が急右カーブしているところの左手集落に入った所に(集落の西端)に城址碑があります。城址碑は元々北側の水田にあったらしいですが耕地整理で移されたようです。
C平城
F遺構等:石碑・説明板
G南北朝期〜/斯波氏 
H満足度:凸
建武四年(延元二年)(1337年)に北朝方の斯波高基が築城したとされます。建武六年(1339年)には南朝方に攻められ落城しました。1460年代に朝倉氏(広景)が入ったとされ、文明三年(1471年)に朝倉孝景が一乗谷に本拠を移しました。

J訪城:2007/09
   
溝江館(金津城)  1778 
城址碑と説明板

Aあわら市大溝1丁目
 旧:坂井郡金津町
B
国道8号線から県道123号線でJR北陸本線の芦原温泉駅まで来て、県道122号線、県道256号線、県道101号線と入り、あわら市役所前まで来ます。市役所前の信号で左折し、新しい道に入ります。350m先で右折し、100m先の右手にふるまちふれあい会館があります。この反対側に城址碑と説明板があります。
C平城
F遺構等:碑・説明板 
G室町期/溝江氏 
H満足度:凸
溝江氏は朝倉氏庶流と言われます。溝江景逸・長逸の親子は朝倉教景に従い加賀一向一揆との戦に参陣し、その後、堀江氏の押さえとしての役目はたしました。天正元年(1573年)の織田信長侵攻で朝倉氏は滅亡しますが、溝江氏は織田氏の降伏し所領を安堵されましたが、翌天正二年(1574年)に加賀一向一揆に攻められて館は焼失しました。
J訪城:2007/09