越前 織田城



ファイルNo3939


                堀切            

@ おたじょう (おだじょう) 
  別名  

A住所:丹生郡越前町織田
    旧:丹生郡織田町

B目標地点:
C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀
G時代/人物:戦国期/朝倉氏
H満足度: 凸△
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  林道入り口から40分or10分

J撮影・訪問時期:2023年03月

  

道案内    

北陸自動車道鯖江インタを下り、右折し県道39号線から柳町の信号で左折し国道8号線にいったん入り、次の東鯖江の信号で右折し、国道417号線に入ります。約600m先、ループでJRを越え、国道417号線は約1Km先の西鯖江の信号で右折になります。国道417号線は約4.4Km先の神明駅の信号で左折になります。ここから国道417号線で約4.5km先が越前町役場で、さらに約500m先が朝日の信号です。ここからさらに国道を約8kmほど進んだところが国道365号線との交差点で織田北の信号です。直進して国道365号線に入り、約1km先の三崎の信号で左折し県道104号線に入ります。約500m先の織田小口の信号を右折します。 約600m先で車道は左折になり、曲がります。約600m先の右手に「ふれあいの森」への入口の道がありますが、このところに右に登っていく廃林道があります。ここから尾根に登り尾根を歩いていくと林道の終点です。距離にして入口から約1.6kmあります。

あるいは、国道365号線の織田北の信号よりさらに約3.8km先、山中のバス停を越えたあたりで左折し集落を抜けて山に入ります。約1km先で左手へ行く林道があり、ここへ入ります。(まっすぐ行ってしまうと水道施設のところで車はもういけません) 約600m先、林道がU字にカーブしているところの真ん中で左に登る林道がありますが、入口に「関係者以外立ち入り禁止」となってます。ここを尾根まで登ると尾根道の廃林道と合流します。合流してすぐが林道の終点です。 この方面は集落側とは反対側の山の谷間を林道が通ってます。携帯電話は繋がりませんので注意してください。

いずれにしてもこの城跡の訪城は自己責任でお願い致します。

訪城備忘録

林道終点から(終点の上には作業小屋がありますがこの下の林道終点の広い箇所)正面の茂みに入り、すぐに斜面を登ると城域です。主郭手前の斜面に小規模の堀切があり、両サイドに堅堀があります。頂部の主郭を囲むように東・南・西を巡る副郭があります。東側と南側を区切るように土塁があります。西側の南斜面にも堅堀が数条あるようですがよくわかりません。頂部の主郭はさほど広くなく、北側へダラダラと傾斜が続き、北の郭に繋がります。北の郭の北斜面と東斜面に1条づつ堅堀がありますが、はっきりとしてはいないです。

小規模な城跡であり、堅堀もイマイチな城跡でした。

城跡遠望
歴史

築城時期は不明のようですが、城主として朝倉兵庫助景綱の名が残ります。景綱は朝倉氏三代貞景の子の景延の子というらしいです。景綱は朝倉氏本家に従う重臣として織田荘を領したようです。天正元年(1573年)、景綱は、朝倉義景が刀根坂で織田信長勢に敗れた際、いち早く織田城に退却してしまい、織田氏に降伏したようです。降伏後、景綱はそのまま織田城に在城したようですが、天正二年(1574年)、越前一向一揆勢に攻められ、景綱は兵を見捨てて妻子のみ連れて敦賀に落ち延びたとされ、城は破却されたようです。

       副郭西側     副郭東側と仕切り土塁
周囲の地図(地理院地図)
ふれあいの森からの廃林道の入口
最短の林道入り口       尾根の廃林道との合流地点
  
左上が南斜面の堀切 右側は堅堀
南斜面の堀切
左手下平坦地:副郭/右手ピーク:主郭
竪堀
城跡遠望

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