越前 厨城
<栗屋城>



ファイルNo3938


              主郭下の堀切              

@ くりやじょう 
  別名 栗屋城 

A住所:丹生郡越前町厨
    旧:丹生郡織田町

B目標地点:城山・愛染明王社
C形式:山城  D比高:500m 
E現況:山林・神社

F遺構等:郭・堀切・畝状堅堀・説明板
G時代/人物:南北朝期/新田氏?
H満足度: 凸凸☆
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  林道越前西部2号線沿い
   鳥居から比高60m/10分


J撮影・訪問時期:2023年05月

  

道案内   

北陸自動車道鯖江インタを下り、右折し県道39号線から柳町の信号で左折し国道8号線にいったん入り、次の東鯖江の信号で右折し、国道417号線に入ります。約600m先、ループでJRを越え、国道417号線は約1Km先の西鯖江の信号で右折になります。国道417号線は約4.4Km先の神明駅の信号で左折になります。ここから国道417号線で約4.5km先が越前町役場で、さらに約500m先が朝日の信号です。ここからさらに国道を約8kmほど進んだところが国道365号線との交差点で織田北の信号です。ここよりさらに約4.8km先、山中トンネルの200mほど手前を斜め左に登り林道・越前西部2号線に入ります。ここから約7kmを道なりに登った行った先が城山公園ですが、その約1km手前(国道365号線から林道約6km先)に愛染明王社の一の鳥居があり、ここを車では右折し車道は約600m先が二の鳥居下になり、ここを登ると愛染明王社、城跡です。ただ、一の鳥居から石段を登ってもいいです。

なお、林道・越前西部2号線は南へ下りると約7km先が県道19号線に繋がっていますし、あるいは、越前海岸側の厨集落から県道4号線のつづら道を登ってきて、城山橋のところで標識に従って斜め右に登り、約3.7km先が愛染明王社二の鳥居という道もありますが、どちらの道も相当に荒れてます。案内通り国道365号線側から入られる事をお勧めします。

訪城備忘録

一の鳥居から石段を登って行くとまるで堀切のような切通しを抜けます。この切通の左上は小城山と言われるらしいです。ここから車道と合流し約300m先が二の鳥居です。二の鳥居から坂道を登ると愛染明王社です。その手前の道の右斜面には三条ほどの堅堀があるのですが茂みでほとんどわかりません。 

愛染明王社の東下にふたつ段郭があり、最初の段郭には井戸が残るようですが倒木がひどくて入りませんでしたが、まだ水が湧いているようです。 社の北側下に段郭がふたつあり、先端郭の下に堀切があります。なかなか明瞭です。さらに、その先の小郭の下にも堀切があり、明瞭ですが、周囲は薮になってます。その西側に堅堀もあるようですが、薮で分かりにくいです。

この尾根上の林道は麓から比高で500m近くの上のため、眺望が良く、越前海岸、日本海の眺めが素晴らしいです。

愛染明王二の鳥居と説明板
歴史

築城時期は定かではないですが、一説には鎌倉期に島津忠久(島津氏初代)が越前守護に任じられた際に子の忠綱が守護代として越前に入りこの城を築城したという言い伝えがあります。(厨のひょうたん塚は忠綱の墓の伝承あり) あるいは、南北朝期に新田義貞、滋野与市吉晴が拠ったとされます。また、貞治五年(1366年)、斯波高経の子の義将が立て籠ったとされます。ただ、遺構は戦国期のもので織田信長の侵攻に対し、朝倉氏か一向一揆衆が備えたと考えられます。<現地説明板より加筆>

愛染明王社    北端の堀切
現地説明板より
林道の案内板
一の鳥居前         国道365号線の分岐点
  
主郭北側郭
主郭下の堀切
主郭下の堀切
主郭下堀切を横から
北端の堀切
城山橋付近からの眺望
城山橋付近からの眺望
城山のある尾根からの眺望

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