道案内 城跡 登り口 |
北陸自動車道福井北インタから中部縦貫道(現在は永源寺大野道路・国道158号線)で勝山インタまで行きます。勝山インタで下り、右折し県道290号線に入ります。約1.4km先で九頭竜川を渡ります。 次の信号で左折し県道17号線に入ります。約1.6km先の伊波の信号で国道416号線を横切ります。すぐに皿川を渡り約300m先を右折し、約50m先、白山一之宮の十字路で左折し県道112号線に入ります。約1.2km先のY字を右手に入り約50m先右手が白山神社です。ここの角に「壇ケ城」の城址碑があり、説明板があります。右手の道を奥に入り、民家を越えてそのまま奥に行くと城への登城道があります。つづら道を登って行くと城跡です。途中、標識があるので安心です。(民家の犬がうるさいですが(笑))
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訪城備忘録 |
白山神社の横の道を奥に行くと神社背後から城跡への道があります。途中、堀名銀山への分岐点だけ左側へ行きます。支尾根先端部の城域は小さな郭が三段あり、一番奥の郭に低い土塁、その背後に堀切があります。ここまでは普通の小さな監視の城ですが、ここの特長は郭の側面に石垣が巡っています。どの勢力が築いた石垣かがわかりません。尾根郭の下の緩斜面は兵の駐屯地にも見えます。今は伐採された木々が横たわり分かりにくいですがただの斜面ではないようです。その端に壇山清水と呼ばれる泉の湧いているところがあり、今も湧いています。
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神社にある城址碑
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築城時期、築城者は不明ですが、永禄・元亀の頃に一向一揆衆の城として築かれたようです。この城の城将は嶋田将監と伝わります。一向一揆衆は天正二年(1574年)には平泉寺と争い破っています。天正三年には織田信長は越前を平定し、越前を柴田勝家に任せ、勝家は養子の勝安に勝山の平定を指示し、壇ケ城は落城したようです。天正八年(1580年)には一向一揆衆を掃討したとされます。
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