道案内 |
北陸自動車道福井北インタから中部縦貫道(現在は永源寺大野道路・国道158号線)で大野インタまで行きます。 大野インタを下り、右折し国道157号線を進みます。約4Km先T字の信号で右折し国道157号線を進みます。約2.5km先の篠座中の信号を左折し県道34号線に入ります。約2.8km先を左折し上舌集落ふれあい会館前を通ります。左折してから約1.7km先の信号を右折します。約2.5km先で再び県道34号線に合流します。合流してから約1.4km先の路地に左折します。約600m先を右折し約200m先で川を渡ります。右折し、すぐを左折し100m先の民家の先右手上が神社です。城跡はこの神社の背後で、本殿の左手の斜面を登って行くと台地上に登れます。
|
訪城備忘録 |
神社の拝殿横に説明付きの城址碑があります。この奥(本殿の左手の斜面)を登ると台地上に至ります。この千前面に横堀があり、切岸で2mほどあります。登ると主郭です。主郭は背後は横堀状に三条あります。(堀切でいいのかも)一番外側の堀は竪堀というより堀底道のように下に続いていました。やや藪化しているため、遺構は分かりにくい部分がありますが、消滅しているわけではないと思います。
|
城址碑
|
|
築城時期・築城者は不明です。江戸期に入り、慶長五年(1600年)、結城秀康が越前に入り、秀康の家臣の加藤康寛(宗月)がこの地に5千石を与えられ、この城を築城(改修)したとされます。康寛は元和九年頃に死去したとされます。康寛は元の名は依田康勝という名で依田信蕃の子であります。秀康に仕える際に母方の姓である加藤を名乗ったとされます。子孫は芦田氏(蘆田氏)を名乗ったようで越前藩の重臣の芦田信濃家として続いたようです。木本の地は寛永元年(1624年)に松平直良が2万5千石で入りますが寛永十二年(1635年)に転封により廃藩になってます。
|