越前 | 池田氏館 |
ファイルNo3471 |
@ いけだしやかた |
道案内 | |||
北陸自動車道鯖江インターから県道103号線を進みます。約8km先、野岡町のT字でいったん左折、すぐに右折、川を渡るとすぐに左カーブで400m先を右折、500m先の山室の信号で左折、県道2号線を進みます。600m先県道は右手に進みます。約13km先、野尻のT字で右折し国道476号線に入ります。2.4km先左手が梅田氏庭園です。さらに約2.4km先が池田町役場で、その約600m先の橋(稲荷橋)を渡った先の信号を右折します。約1.4km先が山田集落です。橋を渡ってすぐの山田集落手前で左への道に左折します。(行き過ぎるとY字交差点があります。Y字の左側に住所地図があり、ここに城館の位置も記載されています。右手へ行くと山田のバス停と山田集落生活改善センーがあります)左折して50m先でまた川があり、ここの川沿いを50mほど歩くと説明板1があり、その先に説明板2があります。説明板2の裏手から台地先端に登り、さらに登ると城域です。 |
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訪城備忘録 | |||
説明板からすると現在水田になっていたり集落になっている平坦部も城域であったようです。説明板2の背後を5mほど登ると台地端です。ここも平坦地はありますが城と言う感じはしません。ここから斜面を比高で20mほど登ると土塁が横たわり、その背後に堀切があるようですが、藪がきつくて登る気がなくなってしまいました^^; Y字を左手方向に進むと八幡神社があり、この奥に龍渕寺というお寺があり、ここに池田勘解由左衛門尉という方の墓もありますが、行ってません^^; |
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池田氏は初代を勘解由左衛門尉久時という人物のようで、守護斯波氏の守護代甲斐氏に従って池田の小守護代であったようです。池田氏は代々「勘解由左衛門尉」を世襲したようです。朝倉氏が台頭してきても当初は朝倉氏には従わず鞍谷氏に従いましたが久時、時忠を経て景明の代に朝倉孝景に従ったようです。元亀三年(1572年)、織田信長を離反した浅井長政を救援のため朝倉義景が出兵した際に池田隼人助が織田氏に内通しようとしたことが発覚し隼人助、及び、遺児二人が斬首され池田氏は滅亡したとされます。(説明板と福井県史より加筆) |
近くの城・関連の城:梅田氏(館)庭園