若狭 舌城



ファイルNo3268


              主郭北側二重堀切のひとつ              

@ したじょう 
  別名 御城山城 

A住所:大野市下舌
B目標地点:
C形式:山城  D比高:40m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀・説明板
G時代/人物:鎌倉末期?/堀口氏?
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2017年06月・2021年03月

  

道案内 

北陸自動車道福井北インタから中部縦貫道(現在は永源寺大野道路・国道158号線)で大野インタまで行きます。 大野インタを下り、右折し国道157号線を進みます。約4Km先T字の信号で右折し国道157号線を進みます。約2.5km先の篠座中の信号を左折し県道34号線に入ります。約2.8km先を左折し上舌集落ふれあい会館前を通り、背後の丘陵の切通道へ向かいます。左折から約500m先、右手が茶臼山城の登り口、左手が舌城の登り口です。 
訪城備忘録

南側の茶臼山城と舌城の間の道から登るのが楽です。北側の白山神社側からも登れますが夏場は草がきついです。舌城と茶臼山城は現在は道路で分断されてますが、往時は繋がった丘陵上にあったようで一城別郭であったか連携された城であったようです。舌城は古墳群を利用して築城されていて茶臼山城とは趣が違います。各古墳のピークが郭として利用され前後、堀切で遮断され防御された城と言う感じです。

説明板
歴史

築城については。史料では、鎌倉末期以降に淡河右京亮、武衛一族、朝倉彦之丞が在城したというされるようですが、いずれも定かではないようです。南北朝期<(北)暦応二年・(南)延元四年(1339年)>、南朝方堀口氏政が北朝方斯波高経が合戦した場所です。遺稿から、戦国期(天文十年(1541年))頃、美濃に対応するために朝倉氏によって改修されたものと考えられます。
堀切・土橋    北側堀切
城跡遠望
  
搦手側
南尾根の堀切
堀切
主郭南下堀切と土橋
主郭南下堀切と土橋
主郭      主郭より北側堀切
主郭北側二重堀切のひとつ
主郭の北側郭
堀切
北尾根上の堀切

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