若狭 堂谷山城



ファイルNo3172

賎ケ岳の戦いに関連する丹羽長秀の城郭

                西側堀切を北側下から

@ どうたにやまじょう 
  別名 気山城 

A住所:三方上中郡若狭町気山〜生倉
    旧:三方郡三方町

B目標地点:若狭自動車道の気山トンネル
C形式:山城  D比高:120m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・石垣・堀・堀切
G時代/人物:戦国期/丹羽氏?
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  麓から30分

J撮影・訪問時期:2016年11月・2017年06月
          (2021年05月)

  

道案内 ←城跡  ←登り口

舞鶴若狭自動車道若狭三方インタを下り、国道27号線に左折し小浜方面に向かいます。約800m先で右折しJR小浜線を越えます。越えてすぐのわりと広い道に左折します。約200m右手が三方浄化センターの入口です。さらに約1kmの右手細い道に右折します。100m先高速道の高架を過ぎてすぐを右折します。山裾までまっすぐ行くと山裾沿いに左手に道があります。約300mほど行くと左手に作業所の建て屋があり、右に登る道があります。この道を途中まで登り、あとは直登しました。けっこうきつかったです。 どこかに登城道があるのかもしれません。

 ** 三方浄化センター側からは浄化センター前でいったん右に曲がり、高速道路沿いにやや下り、高速道路のガードをくぐり、くぐると左折、高速道路の側道をどん突きまで行きます。車が4〜5台止めれられるよう広くなってます。ここから谷筋を登ります。道があるわけではないですが、わりと登りやすいです。右手が城跡主郭方面ですが斜面が急なためまっすぐ登っていき、ネットが張り巡らされていますが、その切れ目(壊れ目)から入りやや左手方向に尾根まで登ります。尾根が東の郭です。
 
訪城備忘録

登り口がわかりません。山裾の道も畑用の細い道のため、途中駐車しておくところもないため、高架下に駐車してそこから歩きました。作業所のところから山への道がありますのでそこを登りましたが、途中山道は左方向に行ってましたので、この右手から直登してみました。比高で約80mほど登ると城域に出ました。主郭の高まりは雑草に覆われていますが、外側切岸も内部も大量の石が散乱しており、石垣が崩壊したような感じです。主郭下は南側が広い副郭となっていて土塁が巡っています。副郭から西にある虎口から下りて行くと主郭と西側を大きく隔てる空堀ー堀切があります。ここの土橋は空堀の端に斜面との間にありました。堀底から副郭まで切岸が8mほどありそうです。さらに、北側も堀切が確認できます。東側にも堀切があり、尾根に段郭、三つの堀切があるようですが、東の尾根は見落としました。^^; 多くの石垣が散乱していて石垣の城を意図していたようです。三方からの尾根を中核部は堀切で隔て防御しています。監視の城程度より戦略的な城であったようです。

2017年06月
東尾根の遺構確認と登り口確認のため再訪しました。登り口については三方浄化センター前から高速道を挟んで反対側の側道のどんつきから谷筋を登るのがわりと楽に登れます。しかし、当日は浄化センター側の側道どん突きから高速道路のフェンス沿いに登り始めましたが、これが藪もひどく難儀しました。結局反対側の側道どん突きに出ました。そこから谷の斜面を登ります。草木も少なく道は無いですが登りやすいです。ただ、ネットの防獣柵が巡らされていますので、開いてる所から入ります。最後はやや左方向に登り東の郭に出ます。東の郭は東尾根に南側に長い土塁がありますが、東の堀切は藪状態、尾根から先の堀切は見る気力がなくなったです。^^;

湖側から
歴史

天正十年(1582年)〜翌年にかけての柴田勝家と羽柴(豊臣)秀吉の争いの中、丹羽長秀が築城したようですが、短期間で廃城になったようです。

主郭西側堀切            主郭北側堀切
北尾根から東側の眺望
三方湖
  
副郭西側虎口
主郭西側空堀と土橋
土橋から空堀と堀切
副郭と周囲の土塁
副郭
主郭の切岸にある散乱した石
主郭内
主郭西側切岸と散乱の石             主郭北側堀切   
東の郭土塁
主郭の切岸にある散乱した石
枡形の虎口土塁
主郭西側空堀
主郭西側空堀
主郭西側空堀
反対側の側道から城跡方面      側道どん突きの登り口
    登りの斜面         東の尾根(東の郭)
三方湖の舟屋 <三方上中郡若狭町海山>  

近くの城・関連の城:鳥浜城・気山城