若狭/ 達城



ファイルNo1991


            城跡遠景   

@ たちじょう 
  別名 

A住所:大飯郡おおい町尾内〜本郷
    旧:大飯郡大飯町

B目標地点:長応寺・本郷大橋・浄眼寺・JR若狭本郷駅
C形式:山城  D比高:110m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀
G時代/人物:戦国期/本郷氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2008年10月

  

道案内 ←城跡  ←登り口

国道27号線小浜市の後瀬山トンネルから西へ12km、あるいは、舞鶴若狭自動車道の小浜西インタを下り、岡津の信号で左折し国道27号線に入ります。5.6km先の本郷の信号で右折し県道1号線に入り、U字の高架を登り、国道・JRを越えた先で左折します。500m先、本郷駅を越えたところで右折、750m先で佐分利川を渡った右手の山が城跡です。 国道からも山は遠望できますが、道としては前述の行き方が安全かな。

訪城備忘録

橋の袂に神社・長応寺への石段がありますが、車の止める場所が周囲にありませんので、城跡南側にある「潮音院」・「なごみ」・「あみーしゃん大飯」という各施設のある付近に止めるのがいいです。長応寺は尾根の先端にあり、狭い平坦地に本堂と住宅がめいっぱい建っていて、この平場には遺構らしいものはありませんが、城跡の下の城にあたります。ここから上の城には行けずで、上の城には橋の袂から200mほど東に行った、民家と畑地の間(カーブミラーのところ)の細い路地を入ります。民家の裏手には竹薮があり、そこに寺の運搬用のレール(静岡の茶畑や和歌山のみかん畑でよく見る)が設置された細い道がありますので、ここを登ります。レールは寺の側面から上に登っていますが、その斜面は竪堀跡のようです。加えて、寺の背後はこの竪堀部分の堀切ともう一条堀切があって二重の堀切になっています。ここから上の城までは途中藪状態の道を登りますが、上の城と下の城は分離しているわけでなく、登城道沿いに削平地、段郭が尾根上に続いています。山頂に登る2/3からは道も急になりますし、いったん段郭もなくなります。山頂の主郭は広場になっていて忠魂碑が建っているのみです。登城道が主郭に入るところは折れのある虎口という感じですが、はたして遺構なんでしょうか。主郭の西側に数段の段郭があり、また、南側尾根には堀切が二条あり、二条とも竪堀に落ちていますが、相当に薄くなっていました。実は、この城に登る際は登城道がわからず潮見院の墓地のところから直登して先に上の城に入ったんですが、シダが生い茂り、倒木も多くて相当に里山が荒れてました。

登り口
歴史

本郷氏は鎌倉御家人で、鎌倉期よりこの地に所領があったようです。室町期に入り、一色氏、武田氏と若狭守護に従いました。戦国期に入り、武田氏が衰退に伴い、国人同士の争いが激しくなりました。国人武藤氏との抗争が激しくなり、達城は、天文二十二年(1553年)本郷泰茂が築城し、高田館から移りました。これは佐分利の武藤氏との抗争のため、居城を堅固にするためだったようです。泰茂は元亀元年(1570年)以降は織田信長に従ったようです。天正九年(1581年)に武藤氏を滅ぼし、その後、次男は九州で小大名になるも関ヶ原の戦いで西軍に従い改易されますが、嫡男の信富は旗本として江戸期に存続したようです。

 寺の背後の堀切    寺の背後斜面竪堀
  主郭       主郭の虎口?
寺の中腹からの眺望   主郭から南尾根の竪堀
  
登城道途中からの眺望       登城道    

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