若狭 / 石山城



ファイルNo1989


                          城跡遠景  

@ いしやまじょう 
  別名 亀山城 

A住所:大飯郡おおい町石山〜久保
    旧:大飯郡大飯町

B目標地点:
C形式:山城  D比高:120m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀
G時代/人物:室町期/武藤氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  西側の麓から30分

J撮影・訪問時期:2008年10月・11月

  

道案内 

国道27号線小浜市の後瀬山トンネルから西へ27kmの薗部口の信号を右折しU字に高架を登り、県道16号線を舞鶴若狭自動車道の大飯高浜インタを目指します。インタ入口の信号を過ぎ、麓に下りた信号を右折し県道1号線に入り佐分利川沿いを進みます。700m先で県道は右折で橋を渡りますが、直進して自動車道の橋げたをくぐります。この左手の山が城跡です。城への道が見当たりません。自動車道下から300m先で左折し細い道を山すそ沿いに400mほど進むと細い道の十字路があり、ここを左折します。100mほど進むと、T字で左手へ山に道が続いていますので、ここを進みます。車はこのT字地点付近か、川沿いの道に止めます。

訪城コメント

前回途中断念した城に再チャレンジしました。説明板は県道の橋の袂にありますが、城跡は説明板の右手側に見える山でなんか紛らわしい^^; 今は舞鶴若狭自動車道に1/3ほど削られてしまっている山です。前回も今回も登城道を探したんですが、やはり見当たらずで、しょうがなく直登しました。主郭から見ると西側の車が入れるT字のところから、左手に山への道があります。わだちがあり、軽四のトラックなら入れるかも。道はすぐにまっすぐの道と右側への道がありますが、どちらもすぐに行き止まりになります。直進の道を選び行き止まりのところの広場風のところから、そのまま斜面を登りました。広場の左手の斜面は植林用に木々が伐採してあり、ここの斜面を登り、尾根まで行って右手に進んでも行けます。私は最短コースで正面の斜面を沢沿いに登りました。けっこう急な斜面で、比高120m程度ですが、思ったより苦労しました。主郭の南西下の郭にでました。ここの斜面に石積みらしい痕跡があるんですがどうでしょうか? 城跡は山頂を主郭に南北に段郭が連なるという連郭式の古い形式の城で、土塁・横堀などは無い城です。山頂から北に段郭が八段ほどありました。二の郭に相当するわりと規模の大きな長方形の郭などがあります。を降りていくと、突然視界が開け、フェンスがあります。舞鶴若狭自動車道の上に出ます。この山への道はこの北側にあったのかもしれないな。それが高速道路建設で大きく抉られ消滅したんかな? (後で資料を見ると抉られたところには堀切があったようです。) 主郭から南の尾根を下りていくと二重堀切がありました。規模的には小さいものです。さらに、今回は行きませんでしたが、主郭の東側下(二の郭から下りていくようです)にも三重の堀切を重ねた八段ほどの小段郭があるようです。帰りも下りるのに苦労しました。久々にロープが必要になったです。登城道はもしかしたら石山集落から背後へ峠に向かう道があります。その途中くらいに南の尾根に登り主郭に向かう道があるのかもしれませんがね。

説明板
歴史

嘉吉元年(1441年)に武藤氏がこの地を与えられた後に築城されたものです。天文年間、武藤友益は若狭武田氏の四家老の一人とされ、佐分利郷を領したことで佐分利殿と呼ばれたようです。天文七年(1538年)には加斗の稲葉館の伊崎式部丞友賢を打ち滅ぼし、天文十九年(1550年)よりは本郷氏と争ったとされます。元亀元年(1570年)の織田信長侵攻ではいったん織田方に降伏しますが、その後に離反し、天正四年(1576年)に高浜城の逸見昌経に攻められ落城したようです。城は天正十二年(1584年)にその時期に若狭を領した丹羽長秀が破城したようです。


城跡遠景                         城跡からの眺望

  主郭                          石積みかな?

段郭

堀切

段郭

段郭

  

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