越前 / 村岡山城



ファイルNo1730

一向宗の城と織豊期の城が混在

               主郭の空堀 

@ むらおかやまじょう 
  別名 

A住所:勝山市村岡町寺尾
B目標地点:村岡小学校・村岡神社・寺尾ふれあい会館
C形式:山城  D比高:150m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・堀切・畝状竪堀・土塁・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/一向宗・柴田氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2007年07月・2018年04月

  

道案内  ←登り口

北陸自動車道福井北インタを下り、国道416号線を進みます。22Km先、県道261号線を進みます。1.6Km先の長山町の信号で左折し国道157号線に入ります。700m先で斜め左に入ります。400m先の路地に左折し200m先の左手に説明板(寺尾ふれあい会館手前)があり、ここより登りります。 (村岡小学校の裏手村岡神社側からも登れるようですが、比高は裏手の寺尾側からの方が楽だと思います。)

 
訪城備忘録

城跡は御立山の山頂部にあります。登り口に鳥瞰図付きの説明板が有ります。ここから道沿いに地蔵が並ぶ木の階段の山道を登ります。中腹まで階段の山道が続き尾根に出ます。しばらく行くと前面に山頂部の高い斜面があり、道はここを左折し、しばらくすると主郭下に到達します。冬場ですと右手斜面に畝状竪堀が見られます。長い竪堀が一条明瞭な形で見られました。夏場は主要部も草木が伸びていますが、主郭を取り巻く空堀、二の郭・三の郭の虎口・土塁がはっきり判ります。西側斜面の畝状竪堀は冬場でも存在がわかる程度、草木が邪魔します。夏場は見えないでしょうね。西側尾根上は連郭上に郭が並び郭間を堀切で隔てています。この堀切も夏場でははっきりしません。この城は、連郭式の一向宗の城に、柴田氏が主要部を悌郭式に改修したという感じで、主郭下の空堀は折れも入り、小型で、土の城ではありますが、戦国後期の技法を見ることができます。

2018年04月再訪 4月初めに再訪したんですが、前日夜に季節外れの積雪、満開の桜との不思議なコラボになってました。前回は夏場であったため畝状竪堀が見にくかったりしましたが、今回は草木は少ないのですが、積雪が邪魔でした(笑)

登山道そばの竪堀
歴史

信長の朝倉攻めから一年後の天正二年(1574年)に平泉寺と対立していた一向宗は、村岡山に城を築いたとされます。和田本覚寺などに率いられた一向宗は、義景を裏切り、自刃に追い込んだ朝倉(土橋)景鏡が逃げ込んだ平泉寺を攻撃し、平泉寺は全山が焼失しました。(この勝利で村岡山は「かちやま」とされ、勝山の地名となったと伝わります。)。天正三年(1575年)に織田信長は越前の一向一揆を平定し、越前を所領とされた柴田勝家は、一族の柴田義宣に勝山の支配をまかせ、義宣は村岡山城を拠点としました。義宣は一向一揆の残党に破れ討死し、かわって、勝家養子の柴田勝安(佐久間盛政の弟)が一揆を平定しました。勝安は天正八年(1580年)に袋田村に新しく勝山城(市民会館周辺)を築城し、村岡山城を廃城としました。

主郭手前土橋・空堀と(積雪と桜)
現地案内板より
主郭と桜
  
畝状竪堀
畝状竪堀
畝状竪堀(上から)
二の郭東下空堀       三の郭と土塁
主郭東下空堀
主郭前
二の郭と土塁
主郭の空堀
主郭と桜
主郭空堀と土橋
主郭西側空堀        主郭前
西尾根段郭・堀切
西尾根郭と堀切
連続堀切を尾根側から主郭側で見る
二の郭から主郭全景
  
二の郭土塁と虎口                    虎口(三の郭側から)
西側から       二の郭から主郭を見る       東側から
    登り口       主郭から見る恐竜博物館
主郭       主郭空堀

近くの城・関連の城:平泉寺