道案内 |
舞鶴若狭自動車道の若狭上中インタを下り、料金所を超えて右折し県道22号線に入ります。約6km先、脇袋北の信号で、国道27号線との交差点です。そのまま直進し約500m先で瓜生小南の信号で直進し約4km先、新道緑地公園角の信号で左折し国道303号線に入り、約2km先が熊川宿です。右手熊川宿の通りに入り、右手の松木神社の手前の無料駐車場に止め、道沿い約100m先にある白石神社への階段を登ります。 (あるいは、滋賀県国道161号線の高島市今津町弘川の信号から国道303号線に入り、約20Km先が熊川宿です。)
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訪城備忘録 |
白石神社の本殿を正面にして手前左手の山道を登ります。白石神社はすでに城域になります。15年ぶりに再訪しましたが、山道は整備され、柵、階段が綺麗に設置してあります。最初は神社と山城部分を繋ぐ張出郭があります。説明板、見学台などが設置されてました。尾根先端より右手に五条の畝状竪堀がありますが、確認できるのは三条程度でしょうか。その上に段郭が直線的に主郭まで続いています。主郭は20m*30m程度で最後部が一段高く櫓台です。主郭にも眺望用の見学台が設置され、説明板も新しくなってました。櫓台の背後の尾根側には堀切が三条あります。この辺も整備され見やすくなってました。また、主郭東側斜面には畝状に竪堀が五条あるんですが薄くて斜面のうねり程度にしか見えませんでした。主郭の南尾根側にも二重堀切がありますが、パスしてしまいました。この城、若狭の中世土豪の典型的な城という感じです。
麓には京極高次時代に休息所として茶屋が作られ、酒井氏時代になって陣屋とし名を改め、町奉行所が置かれ、明治維新まで続きました。その後は小学校の敷地となってましたが、現在は広場になってます。
松木神社の敷地は江戸時代小浜藩の蔵屋敷があった場所です。
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歴史 |
主郭
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沼田氏は上野国沼田の沼田氏の一族で、鎌倉期よりここに勢力があったとされます。永禄年間(1558〜70年)に築城されたと推定されます。築城は沼田弥七郎統兼あるいは沼田勘解由左衛門清延とされます。沼田氏はに武田氏の家臣の瓜生の松宮玄蕃清長に従っていましたが、永禄十二年(1569年)、その松宮氏に攻められ城は落城したとの事です。城はこの後は松宮氏の支城とされ、天正十二年(1584年)に丹羽長秀が若狭に入部した時に廃城になったとされます。 <現地案内板・資料より>
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