越前 / 敦賀城



ファイルNo1208

大谷吉継の居城で名があるも遺構はまったく無い

                          真願寺山門前の城址碑  

@ つるがじょう 
  別名 

A住所:敦賀市結城町 
B目標地点:敦賀西小・真願寺 
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:宅地・小学校・寺 

F遺構等:石碑・説明板 
G時代/人物:戦国期/蜂屋氏・大谷氏
H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2004年07月

  
敦賀西小学校の城址碑説明板

【道案内】   

北陸自動車道敦賀インタを下り、国道8号線バイパスを武生(現:越前市)方面に進みます。400m先で左に下りていき1.5Km先の気比神宮前の信号を直進し、旧国道8号線を越え県道33号線に入ります。(あるいは国道8号線バイパスを800m先<樫曲トンネル500m手前>で側道から国道476号線に左折して1Km先の曙の信号で左折し旧国道8号線に入ります。500m先の気比神宮の信号で左折します。) 600m先が敦賀西小学校です。この一帯が城址です。真願寺には敦賀西小の手前の信号を県道33号線から右折して海側に向かいます。200m先の路地に左折し200m先が寺です。



【現況・訪城記録】

城域は真願寺・敦賀西小学校のある結城町から八幡神社のある三島町あたりまであり、三層の天守があったようですが、元和一国一城令で破却された後、市街化され遺構らしきものは残っておらず、真願寺、敦賀西小学校に城址碑が建つのみです。ただ、敦賀城というと友情厚き猛将大谷吉継を思い浮かびますよね。なお、遺構はないとしましたが、真願寺の乾門の礎石、八幡神社に表城門の礎石があり、来迎寺表門(敦賀市松島2丁目)に敦賀城中門が移築されているようです。

 
【歴史】

天正三年(1575年)に織田信長は敦賀郡代に武藤宗右衛門を命じ、武藤氏は花城山城に入りました。天正十一年(1583年)に蜂屋頼隆が五万石で入封し、花城山城を廃して敦賀城を築城しました。天正十七年(1589年)に頼隆が九州遠征中に病没すると、大谷吉継が五万七千石で入封しました。慶長五年(1600年)、関ヶ原の合戦で西軍に属した吉継は、敗れて自刃し、敦賀は結城秀康の所領となり、元和元年(1615年)の一国一城令によって、廃城となりました。

  
      
  
  

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