越前 越前府中城



ファイルNo1199

府中三人衆の前田利家の居城・江戸期は越前松平氏の臣、本多氏の城

           発掘石垣を移転復元展示した石垣              

@ ふちゅうじょう 
  別名 越府城 

A住所:越前市府中町1丁目13
    旧:武生市府中町
B目標地点:越前市役所

C形式:平城  D比高:ーm 
E現況:公共施設、市街地

F遺構等:説明碑・移築門・(発掘石垣)=一部展示
G時代/人物:戦国期/前田氏
H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2004/07月・2017年04月
             2017年8月・2022年5月

  

道案内 ←城跡  ←移築門(正覚寺)

北陸自動車道武生インタを下り、左手に出て、県道40号線を越前(武生)市内に進みます。600m先の葛岡の信号を右折し国道8号線(バイパス)に入り、600m先の横市の信号を左折し県道2号線に入ります。700m先のY字信号を斜め左に進みます。1Km先の万代橋で日野川を越え、ループの高架でJR北陸線を越えます。400m先の信号で右折し、200m先で右折します。300m先が市役所です。この前に城址碑があります。移築門は越前市京町の正覚寺の山門として移築されています。正覚寺も新善光寺城と言う城跡です。
 
訪城備忘録

市役所に城址碑(裏に説明)があるのみです。 2017年、市役所新築に伴う発掘調査で市役所東側に大規模な石垣が現れ、郭跡には池跡、側溝跡、礎石などが検出されました。野面積みのなんともいい感じの石垣です。相当規模が大きく、高さ方向も残ってます。裏込めの栗石もよくわかります。残念ながら石垣は埋め戻され、埋没遺構となるようです。

2022年5月、発掘で出てきた石垣を新庁舎そばに一部モニュメント展示されているとの情報で行ってみました。 思ったより規模が大きく展示され、裏込め石も表現されていて好感をもちました。

城址碑
歴史

文明年間に朝倉氏の奉行所があった地です。天正元年(1573年)に朝倉氏を滅亡させ、天正三年(1575年)に越前の一向一揆を平定した織田信長は、柴田勝家を北の庄城に、前田利家、佐々成政、不破光治の三人に府中10万石を与え、分領しとし勝家の与力としました。その時に利家は府中城を築きました。天正九年(1581年)、利家は能登に転封となり、その後は木村氏、青木氏、堀尾氏が府中城を居城としました。慶長六年(1601年)、家康の二男結城(松平)秀康が越前に入封し、家老の本多富正が入り、代々本多氏が在城して明治維新まで続きました。

正覚寺の移築門(外側から)
発掘石垣を移転復元展示した石垣
復元展示された石垣 2022年 
2017年、市役所新築に際して発掘調査されて出てきた石垣
市役所東側から出た石垣
石垣天面と栗石
石垣天面と栗石
池跡        側溝跡
発掘石垣

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