越前 / 杣山



ファイルNo1196


                            主郭

@ そまやまじょう 
  別名 

A住所:南条郡南越前町(南条)阿久和
    旧:南条郡南条町

B目標地点: 
C形式:山城  D比高:400m 
E現況:山林 

F遺構等:郭・堀切・竪堀・碑・説明板 
G時代/人物:南北朝期/瓜生氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  山腹駐車場から35分

J撮影・訪問時期:2000年11月

  
主郭前堀切

【道案内】  ← 中腹の駐車場

北陸自動車道今庄インタを下り、国道365号線を武生(現:越前市)方面に進みます。2.5Km先の信号で右折し県道137号線に入ります。右折してすぐ日野川を越え、500m先で北陸道のガードを越えます。そこから700m先で直進は県道202号線になりますが、この合流点の100m手前で右折し杣山へ登る林道を進みます。中腹の駐車場より杣山山頂への登山道を登ります。 なお、合流点より県道202号線をさらに800m進むと右側に杣山総合案内板及び居館跡に至ります。ここからも登れますが、麓からの登山です。
  


【現況・訪城記録】

山腹の駐車場からでも尾根筋をアップダウンしながら比高200mほど登ることになります。西御殿・本丸とも技巧的とは言えないですが、中世の古い山城という感じです。西御殿から本丸までの間に細尾根上の堀切と岩石が露出している箇所が印象的でした。また、西御殿は居住性のある空間で西御殿下には水の手である殿池があり今も枯れてはいませんでした。また、御殿の反対側には二重堀切もあるようですが見ていません。さらに、東御殿側には時間が無くて行けませんでしたが、城内で一番広い削平地があるようです。城の東尾根と西尾根とが鳥が羽で包み込むような形(馬蹄形)になる間の麓の谷間には居館跡がありますが広大な平場が広がっていました。この日、私は軽装で登りましたが、周りには麓よりトレッキング姿の方々、軽装は場違いでした・・・^^;
 
 
【歴史】

築城年代は鎌倉後期から南北朝期の頃と考えられ、南朝方の瓜生氏の居城であったとされます。建武四年(1337年/延元二年)に瓜生氏が北朝方に敗れると、翌年には新田義貞、脇屋義助が拠って府中城の足利高経と戦いました。 文明六年(1474年)に斯波氏の家臣の増沢甲斐守祐徳が拠って朝倉敏景と戦いますが破れ、城は朝倉氏の家臣の河合安芸守宗清の居城となりました。天正元年(1573年)に朝倉氏滅亡とともに廃城になりました。その後、一向一揆の拠点となったともされます。
 

  
袿掛岩
  
西御殿
  
  

近くの城・関連の城:

            

現地案内板より
 西御殿付近土塁           西御殿下水の手/殿池
    西御殿から武生方面遠望          居館地域