越前 / 燧ケ



ファイルNo1192


                            虎口と石垣

@ ひうちじょう 
  別名 

A住所:南条郡南越前町今庄
    旧:南条郡今庄町 

B目標地点:福巌寺 新羅神社
C形式:山城  D比高:140m 
E現況:山林 

F遺構等:石垣・堀・堀切・説明板 
G時代/人物:平安末期/仁科氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2000年11月

  
虎口内側より

【道案内】 

北陸自動車道今庄インタを下り、国道365号線を滋賀県方面へ進みます。国道365号線は2Km先の燧の信号で右折です。(左折は国道476号線です) さらに国道365号線を進み、2.4Km先で右折しJR今庄駅方面に進みます。今庄駅前の旧街道を左折し少し行くと右手に城跡説明板がありますので、そこに右折しこの奥より登ります。
 


【現況・訪城記録】

新羅神社(観音堂)・福巌寺の南側から登ります。山の斜面をつづら折れで登ります。説明板や案内はきちんとされている城跡ですから迷うことは無いと思います。尾根上に登ると石垣の残る虎口があります。実のところこの城の印象はここだけ・・・。あとは草木が多くて遺構が見にくいなぁという記憶だけで・・・。

 
【歴史】

源平の戦いの寿永二年(1183年)、平維盛を討つ為に木曽義仲が仁科守弘に命じて築城させたと伝えられますが、この時は平泉寺に裏切られ城は平家に落ちたとされます。南北朝期には今庄入道浄慶が居城し北朝方に与して南朝方新田義貞らと交戦したと記録されます。戦国期に入り、斯波氏の家臣の赤座播磨守などが在城、ついで、一向一揆衆の城となり下間頼照、藤島超勝寺などが立て籠もりますが、天正三年の織田信長の越前一向一揆討伐後は一時柴田勝家が在城しました。

  
郭跡?
  
城跡より今庄の町遠望
  
  

近くの城・関連の城:

            

現地案内板より