越前 燧ケ城



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             主郭背後搦手側の堀切と土橋           

@ ひうちじょう 
  別名 燧城 

A住所:南条郡南越前町今庄
    旧:南条郡今庄町 

B目標地点:福巌寺 新羅神社
C形式:山城  D比高:140m 
E現況:山林 

F遺構等:石垣・堀・堀切・説明板 
G時代/人物:平安末期/仁科氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:
2000年11月・2021年10月

  

道案内 ←登り口

北陸自動車道今庄インタを下り、国道365号線を滋賀県方面へ進みます。国道365号線は2Km先の燧の信号で右折です。(左折は国道476号線です) さらに国道365号線を進み、2.4Km先で右折しJR今庄駅方面に進みます。今庄駅前の旧街道を左折し少し行くと右手に城跡説明板がありますので、そこに右折しこの奥より登ります

訪城備忘録

新羅神社の観音堂・福巌寺の南側から登ります。新羅神社からも登れます。観音堂の石段途中に燧ケ城まで400米と言う木の標柱がありますが、これは嘘です。(笑) まずは800mほどはあると思います。観音堂の前で左手の山への斜面をつづら折れの道で登ります。説明板や案内はきちんとされている城跡ですから迷うことは無いです。

尾根手前に石段、尾根に登ったら石垣と石段、その先に石垣の残る桝形状の虎口があります。虎口の手前には土橋が架かる堀切になっていて左手の堀は90°屈曲して尾根に沿って落ちてます。土橋も石垣になってます。 桝形虎口の先、主郭手前の石段まで幅の広い尾根で削平度としてはやや甘い感じですが兵站とかには使えますよね。主郭も細長い郭で二つの石垣造りの基壇があります。城址碑と説明板もあり、今庄の町が一望できます。 桝形虎口側の郭の石垣、尾根までの石段、土橋の石垣補強の痕跡、主郭の切岸の石段、主郭の二つの石垣の基壇、主郭背後の堀切の土橋も石垣補強がされてます。これらの石垣は神社かなにかの遺構としか見えないです。

前回は主郭より先が草木が多くて主郭で引き返しました。主郭の背後は高い切岸で、下は見事な堀切でした。その先に郭があり、さらに尾根を歩いていくと尾根道に沿って大きな土塁があり、その先にコの字に尾根を守るような土塁があり、さらにその先の尾根には尾根に横たわる土塁があり、この土塁はこの郭を巡るような感じです。城域はここまでのようで、この先は藤倉山への登山道になります。

城史としては古い城ですので、連郭式の縄張はそうかなとは思います。ただ、尾根に登ったところの堀切土橋と桝形虎口、主郭背後の大きな堀切土橋は見応えもあり、戦国後期の手は入っているようには感じます。ただ、柴田勢が一時は入ったとは言え、大半の石垣は後世とは思いますが、一部は柴田氏の遺構であったらいいなとは思います。

歴史
主郭(本丸)の城址碑

源平の戦いの寿永二年(1183年)、平維盛を討つ為に木曽義仲が仁科守弘に命じて築城させたと伝えられますが、この時は平泉寺に裏切られ城は平家に落ちたとされます。南北朝期には今庄入道浄慶が居城し北朝方に与して南朝方新田義貞らと交戦したと記録されます。戦国期に入り、斯波氏の家臣の赤座播磨守などが在城、ついで、一向一揆衆の城となり下間頼照、藤島超勝寺などが立て籠もました。天正三年(1575年)の織田信長の越前一向一揆討伐後は一時期柴田勝家が在城しました。

  
尾根の堀切と土橋向こうに石垣の桝形      搦手側尾根の土塁     
現地案内板より
主郭よりの眺望(今庄の町)
今庄駅より城跡
  
       登り口説明板        観音寺の石段(右の標柱城跡400mは間違い)
観音寺横の登り口(クマ注意)     登り道の石段痕跡
尾根上直ぐの石垣と石段      堀切からの屈曲竪堀
堀切から90°屈曲する竪堀(上から)
堀切と土橋
堀切と土橋を横から
桝形状の石垣の虎口
 主郭前の尾根
主郭(本丸) 
主郭背後(搦手側)の堀切土橋
搦手堀切を土橋上から
搦手堀切
搦手堀切と土橋を横から
搦手堀切と土橋を横から(石積み)
搦手堀切と土橋を正面から
搦手側郭
搦手側尾根尾根沿いにある土塁
内側から   尾根を遮断するコの字の土塁   外側から
城域先端の土塁
城域先端の土塁
城跡麓、トンネルに入る特急サンダーバード

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