近江 | 野々口城 |
ファイルNo3684 |
@ ののぐちじょう |
道案内 | |||
国道161号線(湖西道路)の志賀ランプを下り、県道345号線を琵琶湖方面に進みます。約1.2km先の志賀駅口の信号で左折し県道558号線(旧:国道161号線)に入ります。約2.8km先の南比良の信号を左折し、約500m先で国道161号線をガードで越え、林道に入り、約600m先左手に百闥轤ェあります。さらに約300m先左手から石垣があり、この右手に山の所有者を書いた看板が山の麓にあります。この裏手からつづら道があります。登り切ったところが城域のはずです。 |
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訪城備忘録 | |||
資料では370.7m地点周辺が城域との情報なんですが、現地は西側に土塁があるんですが、平坦地は小さく城という感じはしません。ここでいいのか?? この城域と思われる背後に尾根は一騎懸け状の尾根になってます。資料では北側に堀切とあるんですが、??の状態。城の確信がなくて山頂部まで行ってみました。 一騎掛けをすぎると急斜面が壁のように前にあります。比高で60mほど登ると山頂部です。この壁のような斜面はきついので充分な注意が必要です。山頂部は西が土塁状、小さな平坦部(というより窪地)があり、西に伸びる尾根には二段ほど小さな段郭状にはなってます。北側は幅のある斜面でした。どちらも城という感じではなく、もしかしたら違うのか??結局のところ、城の感覚のまま下山してしまいました。 資料には「東・南・西の三方が急斜面となり、北側 の尾根筋は堀切で遮断する。平坦面内には基壇状の高まり がみられ、その前面に空閑地が確保される。この平坦面の 背後にはL字状の土塁を築く。」と書かれてます。 麓にある百闥は江戸末期、洪水防止のために地元の領民が築いた堤防とされます。 |
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法花寺は弘安三年(1280年)の史料には、野々口山城と重複する地点が寺地が比定されるようです。城としては史料に、野々口丹波守 城屋敷遺跡と書かれているようで、法花寺を改修して城郭化されたものとされます。 |
山頂部 |
百闥 |
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