近江 | 歓喜寺城 歓喜寺山城 |
ファイルNo3616 |
思ったより遺構がいい城郭寺院遺構と山城遺構
@ かんきてらじょう・かんきてらやまじょう |
道案内 ←歓喜寺城 ←歓喜寺山城 ←旧歓喜寺・薬師堂への入口 | |||
琵琶湖大橋から県道558号線(旧国道161号線)で敦賀方面に進み、約10Km先の大物の信号で左折します。細い集落内の道を約200m進むと正面が神社です。ここのT字を左折し、約100m先の湖西道路(現国道161号線)の下の側道を横切り、湖西道路のガードをくぐり、そのまま直進します。(湖西道路下から約150mで小さな橋を渡ります。)別荘地的な住宅地の中を約800m進みます。「右 やくし堂」と手書きで書かれた標識のところに右折します。そこから林道を約1.4km登っていくと旧歓喜寺に建つ薬師堂に至ります。右手薬師堂で、左手林道道沿いが歓喜寺城です。 歓喜寺山城には曲がり角から約600m登ったところが逆V字のヘアピンカーブ状の登りです。さらに登った二つ目の鋭角左カーブのところに「佛の穴50m」という手書きの標識のところがあります。(薬師堂から約500mほど手前) ここからから東に登る小道を登ります。50mほど行くとまた「佛の穴50m」という標識があります。標識の右手に行くと「佛の穴」ですが標識の裏手から左に登って行くと歓喜寺山城に至ります。 |
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訪城備忘録 | |||
歓喜寺城:城郭寺院と言ってもここほど堀切が明瞭なところは少ないかもしれないです。歓喜寺城は四つの大きな郭を三つの深い堀切で分断された連郭の城です。一番奥が主郭と思われ、内部は土塁が巡り、東西に規模の大きな石垣が残ります。三番目の郭の林道側外側にも規模の大きな石垣が残っています。堀切はどれも深くて明瞭ですが、一番手前のものが特に明瞭です。 歓喜寺山城:歓喜寺城は坊を城塞化していますが、歓喜寺山城は見張りを含めた城として山上尾根に展開しています。まずは尾根先端に郭群あります。平坦地ではありますが技巧的な感じはしません。奥の尾根に進むと明瞭な堀切に出会います。さらに進むと尾根上の平坦地を幾つか越えるともう一条の堀切があります。ここの堀切は竪堀が非常に長く明瞭です。この二つ目の堀切からさらに急な斜面を登るとと頂部にもうひとつ郭群があります。頂部の郭は削平もしっかりしていて広いです。ここが主郭なんですね。北側から東側にL字に土塁があり、特に北側の土塁が高いです。北側土塁の西側に開口部があり、虎口かな? さらに、西側斜面を比高で30mほど下りると岩場の堀切があります。この堀切のすぐ下に北側に竪堀のように落ち込んでます。ここも堀切があったのかもしれません。という事は二重堀切ですかね。堀切からの帰りはまた頂部の郭に戻って帰ろうか、このまま下りようか悩みましたが、下りてしまいました。最後の比高7〜8mが急です。木が無かったら下りられない。なんとか下りて、薬師堂の反対側にでました。二か所とも思った以上に明瞭な遺構で驚きました。 |
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歓喜寺は天台宗の山岳寺院だったようですが、戦国期に城塞化しました。元亀三年(1572年)、元亀争乱の中、織田勢に焼き討ちされ、城も落城したようです。寺が焼失する際に僧侶が本尊の薬師如来像を持ち出し山中に埋めたものを住人が見つけたとされ、江戸期に歓喜寺跡地に薬師堂を建てたとされます。 |
歓喜寺山城 |
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