近江 | 西岡城 |
ファイルNo3160 |
コンパクトながらするどい堀切など遺構はよく残る。但し登城道がよくわからない。注意!
@ にしおかじょう |
道案内 ←城跡 ←日吉神社(登り口) | |||
北陸自動車道木之本インタを下り、国道8号線を敦賀方面に進みます。15km先、国道303号線との交差点の塩津の信号の左折します。約800m先の田んぼの中の交差点で右折します。約600m先で湖西線の高架下を通過し直進します。約1.3km先で左折します。約800m先で横波公民館のバス停を通過、約500m先左手の浄徳寺前の交差点で右折します。すぐに白山神社の碑があり、ここに入ります。300mほど進むとゲートがあり、開けて入るとすぐに右手に駐車場があります。 |
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訪城備忘録 | |||
この城は本城を中心に西砦、東砦があるようです。本城も含め資料の少ない城跡です。Webでも情報が少ないです。城域としては神社の左の山の北側奥の尾根上という事になりますが、どういう経路で登城道があるのかわかりかねます。みっつのルートではBが一番安全です。 前回は@のルートで登りました。「日吉神社の拝殿右横に用水路があり、その反対側につづら道が上に登っています。尾根先端まで登ると小さな祠があります。この祠の背後を登ります。途中で尾根は左に折れていき、登りが徐々にきつくなります。 次の南北に延びる尾根まで登りきると三角点のあるピークに到達しました。(神社からすると左手の山の奥・日計山からの派生した尾根でしょう) このピークから左手(南側)は尾根の大変広い幅のある尾根が長く続いています。(たぶん本来の登城道はここへ上がってくるのでしょうか) さきほどのピークから右手に進みます。」 二回目は@のルートが2018年の台風被害で倒木が多そうなので、Aのルートで登り、Bルートで下りてきました。(三回目はBのルートで往復しました。) Aのルートは神社の左手斜面をしゃにむに登るという感じで、斜面もきつく途中斜面中腹で左手に回り込みながら支尾根を登るという感じですが、あまりお勧めできません。 Bのルートは谷筋から斜面を尾根の鞍部へ登るというルートで、道が途中で消えているため斜面をつづら状態で鞍部まで登ることになりますが、一番安全のように感じます。尾根に登るとダートの林道があります。どこにつながっているのか地理院の地図にも表記がないためわかりません。いずれのルートでもピーク(標高301m地点)から北へ向かう事になります。 途中、尾根から左手(西側)に見張り台かと思われる張出尾根がありました。そこからさらに登ると西砦と思われる区域に至ります。ここを過ぎてしばらく登ると本城の城域です。 東西に伸びた尾根上の最初の東側の堀切が迎えてくれます。 迷うと危険なので地理院の地図を加工したものを貼っておきます。 ※ 〇番号は下記に添付の地理院地図に付けた番号です。 ピークからいったん下り、再度登ったところが西砦に該当するのか城郭遺構があります。簡単な二段の郭で登ってきた斜面に薄い堀切状が残ります。この場所から少し行ったところが城域です。最初に堀切が目に入ります。この堀切の先、通路の右上が城跡です。通路と城域の切岸もなかなか鋭く高いです。この城は、南西、北西、東の堀切で城域を形どっています。どの堀切も荒らしさも残り非常によく残っていますが、特に南西の堀切は切岸の高さもあり竪堀に落ちていて、荒々しさは格別でした^^V 南の斜面には竪堀も数条確認できます頂部が主郭で東西に長い長方形の郭でかつ郭内で二段になってます。西側が一段高く、コの字に低い土塁があり、東側は張り出し郭のようになっていてコの字に土塁が巡り、南側に主郭に入る虎口になってます。主郭北西側一段下にすり鉢状の丸い郭があり、その外側が北西の堀切です。主郭東端の張り出し状郭の外側は横堀になっていて南側には大きな竪堀があり、虎口への通路を挟んでいます。横堀の外側に小郭があり、その東側下に大きな堀切があります。 ここ旧:西浅井町、「にしあざい」と読むんですが、この文字の間に「ん」を入れると「にんしんあんざん」になります。そういう事からではないでしょうが、長浜市の北部、旧の高月町、木之本町、西浅井町には観音様が非常に多い地区です。(公開されている観音様は少ないですが) |
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築城時期、築城者は不明のようです。近江熊谷氏の居城とも伝わるようです。天正十一年(1583年)の賤ケ岳の戦いの時に丹羽長秀が陣城として改修したとも伝わるようです。 確かに本城遺構は戦国の城ですね。 |
本城の遺構 |
登城経路 |
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