近江/ 高取山城
<男鬼入谷城>



ファイルNo2425

山奥に大規模な戦国の城跡を残す。

              山頂郭北側下三重堀切   

@ たかとりやまじょう 
  別名 高取城・男鬼城
 
男鬼入谷城(おおりにゅうだにじょう)
A住所:彦根市男鬼町 
B目標地点:比婆神社
C形式:山城  D比高:400m
<比婆神社社務所から300m 登り道2km> 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・竪堀・石積み
G時代/人物:戦国期/京極氏?
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  比婆神社から25分
J撮影・訪問時期:2010年04月・2014年04月
2014年11月・2015年04月2016年10月
2017年10月
・2019年04月・2020年03月
2021年05月

  

道案内 ←城跡 ←登城口(比婆神社)

ルートとしては、@ 国道8号線の鳥居本町南の信号から県道239号線に入り、途中から滝谷武奈林道を進んで比婆神社鳥居前に行くか(要所に比婆神社の標識があります)、A 多賀町の国道306号線の久徳の信号から県道17号線に入り、「河内の風穴」を目指します。河内の風穴の入口からさらに県道17号線を進み、武奈町(廃村)まで行き、ここで左折し林道に入って男鬼町(廃村)の集落を過ぎると比婆神社鳥居です。 【※Aについては2020年3月現在土砂崩れで河内の風穴から先で通行止めになっているため、城跡には行けません。】

@で説明しますと、名神高速彦根インタを下り、原町の信号を右折して国道306号線に入り国道8号線に向かいます。外町の信号で右折し、国道8号線に入り米原を目指します。4km先の鳥居本町南の信号で右折します。すぐに県道239号線に合流します。2.8km先の仏生町の入口で斜め左に入ります。(比婆神社の標識有) 5kmほどクネクネした細い山道を登ります。途中一箇所分かりにくい分岐があります(その地点では逆Vで左手方向に曲がります)が、比婆神社の小さな標識はあります。 5km先にまた林道の分岐があり、斜め右に下ります。(比婆神社の標識あり) 1.5km先のT字を右折れし、500m先の右手が比婆神社鳥居です。

小さな橋を渡り、鳥居をくぐったら、さらに山道を登ります。普通車1台程度の幅で片方が崖という道を比高で200mほど、距離で2kmほどでしょうか、登りきると比婆神社の駐車場です。駐車場はけっこう広い空間ですが、麓の鳥居からここまでの林道は少々恐怖のある道です。比婆神社の灯篭の左横から尾根の斜面を登って行きます。比高で60mほど、時間で7〜8分で比婆山山頂です。(木に標識がくくってあります> ここからさらに尾根を50mほど進むと小さな「117」と刻まれた標柱があるところが分岐点です。 ここで左に折れ岩山状の斜面をおり、さらに15分ほど尾根を進みます。比高で80mほど下りたことになります。アップダウンを2度ほど越え、細尾根の土橋のようなところから少しづつ登りになり、最後に急斜面を登ると西の郭に至ります。

写真での道案内を下段に掲載して置きます。鈴鹿山系ですから熊はいないとは思ったりしますが、近年は鈴鹿山系にも熊はいるようです。用心は必要です。本当に山奥です。麓の集落は廃村になって人のいないところです。携帯電話も圏外ですので、訪城には充分な装備をしてください。

訪城備忘録

こんな山奥にこれほどの城跡が!と驚かされます。どういう理由で作られた城なのか? のろし繋ぎの城であればこれほどの大規模なものは必要では無いでしょうし、誰かの居城??あまりに山奥すぎる。さて城跡ですが、今すぐでも使用可能なくらい明瞭な遺構が残ります。平成十二年(2000年)、この城は発見(確認)されたとの事です。

西側から10mほどの斜面を登ると西の郭です。斜面には竪堀が1条、明瞭です。この西の郭は南から西側に土塁が巡っていて削平もしっかりしています。一段登ると中段の郭、大堀切を越えると上段の郭(主郭)、上段の郭(主郭)の西側には大きな腰郭、東側下支尾根にも大きな切岸と小さな堀切を越えて段郭があります。上段の郭(主郭)から切岸を越えて山頂郭部に入ります。山頂郭は北側に櫓台かな?土塁があります。山頂郭の大きさも50m四方ありそうで大きく削平もしっかりしています。山頂郭東側下には長方形で北側に土塁が巡る郭があります。この山頂郭と東郭は居住性を感じます。山上御殿のようです。 東の郭斜面下は10mくらいの切岸で薄いですが畝状竪堀があり、さらに下に二重の堀切があります。山頂郭の北側下に最大の見所の三重堀切があります。 堅堀も長く明瞭です。堀切の先の尾根には遺構は無いようですがm北尾根西斜面下には緩斜面があり、斜面がわりと緩やかで、駐屯地にも使えそうな大きな区域を感じます。各所の堀切から落ちる竪堀も明瞭で、切岸もシャープな状態が残り、本当に感動物の城跡でした。

 ※ 過去、山頂部を主郭と表記してましたが、最近の本では上段の郭を主郭と書かれている事が多いので、表記をそれに合わせました。 また、最近の本では高取山城とは呼ばないで男鬼入谷城(おおりにゅうだにしろ)と表記される事の多いです。

2014年04月、11月再訪
城跡内は前回に比べ間伐はされてますが、麓の道、比婆神社までの道は荒れていました。 今回は西の郭の南斜面下の小さな堀切まで、上段の郭(主郭)の南斜面下の堀切まで下りてみました。西の郭の南斜面と山頂郭の北斜面に石積みの痕跡のような一列の石列があります。石積みに見えるんですが、どうでしょう。

2015年04月
2014年と2015年の訪城は同じ4月ですが、1週間ほど違うだけで新芽の出方がぜんぜん違ってました。城域下から西の郭までロープが新たに設置してあり、訪城にウエルカム的に感じます。ただ、比婆神社本殿の背後を登って向かいますので、ご神体の領域でもあるのかもしれません。敬う気持ちも持って訪城が必要ですな。

2016年10月
やや雨模様で2014年11月の訪城の時のように霧にかすんだりはしましたが、この日は広角1本で撮ってみました。

2017年10月
この日の天気予報はあまり良くはなかったのですが、幸いに雨にやられるほどではなかったですが、前日の雨で林道がぬかるんでいて(真ん中はコンクリート道ですが路肩は土です)タイヤがスリップして車が一時登らなくなってあせったです^^; 右側が崖なんでどうしても左に寄ってしまいます・・・。登り始めは霞んでましたが、城域に到達した頃には靄もはれました。この城で初めて鹿に会いましたよ。

2019年04月
いい天気の中、城友をご案内して訪城しました。 昨年の台風の影響で多賀町側からは通行止めです。鳥居本町側から入ります。城域も倒木が多く、特に山頂郭背後の三重堀切に多くの倒木が倒れこみ、山頂郭(上)からは三重堀切がわからなくなってます。左側(北西側)から廻り込むと竪堀から堀切を横からは見られます。上段郭(主郭)手前の城域中間の大堀切も倒木がひどかったです。
2020年03月
一年ぶりに再訪城しました。城友のご案内でした。大堀切、三重堀切に倒れている大量の倒木はそのままになっているのは残念ですが、どなたがされているのかわかりませんが、手書きで比婆神社から城跡までの道案内標識の設置、城跡標識の設置がされていました。山頂郭の若干伐採され、眺望がきくようになってました。

2021年05月
城跡の倒木状態は変わっていませんでしたが、山頂郭に新しい城址碑が設置されてました。

誰が付けられたのか?山頂郭にある
「男鬼入谷城」の標識
歴史

築城時期も築城者もはっきりしません。 史料には川原豊後守の名もあるようですが。

天文十九年(1550年)〜天文二十二年(1553年)頃、浅井氏との抗争で山間部に入って抵抗を続けた京極高広が築いた可能性があるとの事です。理由は。高広は常に多賀を抜けて湖南の六角氏を攻めたという史料があるからのようです。

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最大の見所 三重堀切 2016年
三重堀切のひとつ
三重堀切を尾根側から
三重堀切を郭から
比婆山から城跡遠望
山頂郭からの眺望
山頂郭からの眺望
      
西の郭土塁
西の郭全景
西の郭から主要部方向尾根
西の郭斜面
西の郭南斜面段郭堀切
西の郭南斜面石積み痕跡
上段郭(主郭)手前の大堀切
大堀切からの堅堀
尾根から大堀切と向こう側上段郭(主郭)切岸
   大堀切
大堀切
上段郭(主郭)方向
上段郭(主郭)から大堀切方向
上段郭(主郭)東支尾根の切岸
上段郭(主郭)東支尾根の石積み痕跡
上段郭(主郭)東支尾根の堀切
上段郭(主郭)東支尾根の堀切@
上段郭(主郭)東支尾根の堀切A
上段郭(主郭)東支尾根の堀切
上段郭(主郭)東支尾根段郭と切岸を下から見上げる
「やまつづじ」かな?
山頂郭から三重堀切(2020年)
山頂郭と土塁
山頂郭の新しい城址碑
山頂郭の斜面石積み痕跡
山頂郭東郭とL字土塁
東郭斜面下二重堀切
三重堀切(2020年)
    
三重堀切 2016年
三重堀切
堀切を横から
道案内
麓の廃村(男鬼集落)
修復された比婆神社
 比婆神社         灯篭左手から斜面を登る
標識          神社背後の尾根上(巌がゴロゴロしてる)
比婆山標識     分岐点
     分岐点下り口の城跡標識     分岐点(117と表示の石柱あり)左手へ
降りていく最初の岩山斜面      岩山を降りてからの斜面
登城道の途中(山中)
土橋のような細尾根    城域下から見上げる
斜面と最初の堀切
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