近江 / 比叡山延暦寺城郭遺構



ファイルNo2365
                         根本中堂   

@ ひえいざんえんりゃくじ 
  別名 

A住所:大津市坂本本町
B目標地点:根本中堂
C形式:山城  D比高:700m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・竪堀
G時代/人物:戦国期/浅井朝倉氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  第一駐車場から10分

J撮影・訪問時期:2010年01月

  

道案内 

国道161号線の柳が崎の信号から県道30号線に入ります。1.3km先の近江神宮前で右折し、すぐの神宮前の信号で左へ進みます。800m先、西大津バイパスの南志賀ランプを越えます。2km先の田ノ谷料金所から比叡山ドライブウェーに入ります(有料)。8km程度先、延暦寺東塔(根本中堂のある地域)の第一駐車場まで行きます。
 
現況・訪城記録

第一駐車場の南端から下っている細い道があります。少し降りるとすぐに平坦地があり、ここから城郭遺構です。大きな郭が4段ほどあり、郭も大きく、郭の端周囲は土塁が巡ります。一番下の郭には中央に仕切り土塁も認められます。資料では城郭遺構となっていますが、確かに、土塁や竪堀の痕跡も認められるため城塞化されますが、坊跡の改修のようにも見えます。

大講堂
歴史

元亀元年(1570年)、織田氏と対峙した浅井・朝倉氏の連合軍が立て籠もった城とされます。元亀二年(1571年)には織田信長による叡山焼き討ちが行われ、根本中堂以下の伽藍は廃塵と化しました。根本中堂は寛永十九年(1642年)に徳川家光によって再建されました。西塔領域の弥勒堂は叡山焼き討ち後、豊臣秀吉が文禄四年(1595年)に園城寺(三井寺)弥勒堂(貞和三年(1347年)頃建立されたもの)を移築したもの、にない堂の常行堂と法華堂は文禄四年(1595年)に建てられたものです。


釈迦堂                      にない堂

郭と土塁                 土塁
土塁
一番下の郭と土塁
郭と切岸

  
比叡尾根上からの眺望

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