近江 高島新庄城



ファイルNo1954


   大善寺と城跡説明板 

@ しんじょうじょう 
  別名 大善寺遺跡 

A住所:高島市新旭町新庄
    旧:高島郡新旭町

B目標地点:大善寺・新旭南小
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:工場・学校・宅地・畑地

F遺構等:土塁・説明板
G時代/人物:戦国期/磯野氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2008年09月・2022年08月

  

道案内 ←大善寺遺跡  ←主郭位置(推定)

国道161号線で大津方面から来ると、新安曇川大橋で安曇川を越えて500m先、南小学校前の信号を左折し県道303線に入ります。250m先の右手が大善寺で、寺と隣の水田周囲に土塁が残ります。
 
現況・訪城記録

新庄城の主郭は国道161号線の右手の綾○工業の工場周辺と推定されます。主要部も国道161号線上、新旭南小学校一帯と考えられ遺構は残っていません。(発掘調査では土塁・石列・井戸が検出されたようです) 小学校の道を挟んで反対側の空き地に判読できない説明板があります。 大善寺周辺は重臣屋敷跡ではないかと推測され、以前は無かった新しい説明板が山門横にあり、寺と隣の水田を囲むようにコの字状に土塁が巡ります。

小学校前説明板
歴史

元々は清水山城の出城として築城されたようですが、築城時期などは定かではないようです。多胡氏・新庄実秀などの名前が残るようです。元亀四年(1573年)に織田信長は多胡宗右衛門に本知を安堵したとあるようです。天正二年(1574年)に織田信長は、浅井氏の降将である磯野員昌(かずまさ)を城主としました。員昌は天正六年(1578年)に織田信長に追放され、新庄城も廃城になったようです。

土塁
寺の裏手を遠望
  

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