近江/ 伊賀見城



ファイルNo1928

        主郭内土塁  

@ いがみじょう 
  別名 

A住所:甲賀市甲賀町高嶺(旧:甲賀郡甲賀町)
    〜伊賀市東湯舟(旧:阿山郡阿山町)

B目標地点:東海自然歩道
C形式:丘城  D比高:40m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切
G時代/人物:戦国期/高峯(高嶺)氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  県道の県境から東海自然歩道で10分

J撮影・訪問時期:2008年08月・2021年04月

  

道案内 

国道1号線で湖南市(旧甲西町)方面から来ると、西名阪という信号の50m先の信号で右折し甲賀水口中心部に入ります。県道549号線を進みすぐの本綾野の信号で右折して水口町市街地(現:甲賀市)を抜けます。近江鉄道を越えて600m先の内貴橋北の信号で右折し県道122号線(旧:国道307号線)に入ります。道なりに1.5Km先の三大寺北の信号で県道4号線と合流し進みます。庚申口の信号で国道307号線を横切りさらに県道4号線を進みます。庚申口の信号より約11Km先の田堵野西の信号を県道4号線側に左に進まずにJR草津線に沿って直進します。油日駅手前の油日農協前の信号で右折し、草津線を越えてすぐに二股を左手に県道61号線を進みます。善福寺を越えて薮内橋のバス停を過ぎると左手が和田城、右手に和田支城が並びます。ここからさらに県道61号線を県境へと進みます。1km先でゴルフ場の陸橋を過ぎ(両サイドがゴルフ場)、さらに1km先で高嶺西のバス停に至ります。県道を(Y字を左手)さらに進みます。800m先が県境でこの手前の坂の途中がが広くなっていますので、ここに駐車し、県境沿いにある東海自然歩道を400mほど進んだ左手上が城跡です。さらに300mほど進んだ左手が高嶺南城です。
 
訪城備忘録

滋賀三重県境にまたがる城です。城郭体系には三重県の城として紹介されています。県道61号線の県境のところの東海自然歩道の看板のところから尾根道を進みます。最初は軽自動車くらいは入れる道でわだちもついています。300mほど進むと案内標識があり、車道は右手に下りて行き、自然歩道はそのまま直進です。100mほど進んだところで左手斜面に入ります。すぐ城跡下に居ると実感します。なんとなく登っていくと西の堀切にでます。ここから北の堀が見え、ここに登るとコの字状に土塁が巡る主郭が右手にあります。西の堀切から道があってここを進むと西の虎口で、そこに滋賀県教育委員会の史跡標識が立っていて、これにマジックで伊賀見城と手書きされています。東側虎口の先には小型ですが明瞭な堀切も見られます。主郭の南東側下にも平坦地があり、郭跡なのかもしれません。 東海自然歩道を伊賀見城からさらに200m進んだ左手に高嶺南城があります。ありますと書きましたが、よくわからない状態です。伊賀見城下付近から東海自然歩道は草木が多く、左サイドは藪状態です。伊賀見城下から300mほど進んだところが高嶺南城だど思うのですが、藪状態でよくわかりません。

2021年04月再訪
主郭が藪化したように見えます。4月でこれだと8月くらいには藪だらけだろうか。

主郭西虎口
歴史

高峯蔵人、あるいは高峯(鷹峯・高嶺)伊太朗の城と資料にはあります。名前の通り、高峯氏が伊賀を警戒のための城であるようです。勢力関係で伊賀方の城になった頃もあったようです。高峯南城も同様ですが、南城は堀井氏の城という史料もあるようです。

東の堀切
主郭北の堀         主郭西の堀切
 主郭東の堀切        主郭東の虎口から主郭内
地理院地図を加工
   
主郭下
主郭内土塁
主郭西側虎口と手書きの城址碑
東の堀
北の堀
東の堀切
東の堀切
東の堀切
東海自然歩道からの登り口
高嶺南城
道から登った箇所   高嶺南城と思われる付近 1929  東海自然歩道から遠景

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