近江 / 海津城



ファイルNo1878

                          舟入  

@ かいづじょう 
  別名 海津西内城・海津東内城 

A住所:高島市マキノ海津
    旧:高島郡マキノ町
B目標地点:マキノ東小
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:小学校・宅地・田畑

F遺構等:堀?
G時代/人物:戦国期/海津氏
H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2008年04月・2016年04月

  

道案内 ←西内城   ←東内城

北陸自動車道木之本インタを下り、国道8号線を敦賀方面に進みます。8Km先の塩津の信号で左折し、国道303号線に入ります。10Km先(奥琵琶湖トンネルを越えた先)の野口の信号で左折し国道161号線に入ります。3.5Km先の海津の信号で左折します。500m先で右折し海津市街地に入ります。この辺が東内城城域であり、500m先で右折した先、マキノ東小学校一帯が西内城です。

訪城コメント

海津城は西内城と東内城と二つの城域がありますが、海津城というと西内城の事になるのではないでしょうか。西内城は現在は小学校敷地となっていて遺構は残っていませんが、舟入のクランク状の水路と石垣が雰囲気があります。東内城は宅地・田畑になって、雰囲気もありません。集落の裏手の田畑(集落と国道の間)にポツンと祠があります。これって、城になんか関係があるんかな?

マキノ高源地区にメタセコイアの並木道があります。和名はアケボノスギというスギの仲間のようです。昭和56年頃から植え始められたらしいですが、今ではりっぱな並木道。2.4kmに及ぶ並木道が続きます。秋の紅葉もいいでしょうが、新緑がまぶしい。(城には関係ないっす^^;) また、近くの海津大崎は琵琶湖沿いの道路が桜のトンネル状態になっていて満開の時は人気です。ここを通って行くと大浦、その先に菅浦(奥琵琶湖パークウェイの入口)があります。菅浦水軍の里の菅浦集落は海津とともに古事記にも地名が出てくる古い集落で、古くより水運の集落、集落の東西南北には四足門が置かれ、外とを遮断していたようで、自治を確立していた集落だそうです。現在は東西の四足門が残ります。 堅田衆とも水利権で争い、菅浦水軍とも呼ばれたようです。この集落、ある種の武装した集落であり、環濠集落の如く、城と言えるのかもしれないかな。 琵琶湖で使われた丸子船は大浦にある北淡海丸子船の館に展示されています。 なお、大浦・菅浦は高島市ではなく長浜市西浅井町(旧:伊香郡西浅井町)です。

小学校
歴史

(西内城):田屋氏一族の海津政元の居城とされます。海津氏は田屋氏と同様に浅井氏に従い、。元亀元年(1570年)から天正元年(1573年)の間に織田氏に攻められて落城したと考えられます。その後、信長関連の本を読んでると海津の名が出てきますので、何らかの施設はあったんではないかと想像させます。江戸初期には幕府代官の白崎氏が入り、天明六年(1786年)以後は大津にあった大和郡山藩(柳沢氏)の代官所がここに移転しています。


舟入口の石垣                    東内城
  
海津の浜(江戸期の石垣)
海津を海津大崎側から遠望
大浦側の海津大崎
メタセコイヤの並木道(高島市マキノ町牧野周辺) 
メタセコイヤの並木道
メタセコイヤの並木道
メタセコイヤの並木道
菅浦水軍の里(長浜市西浅井町菅浦)  
菅浦集落を遠望
西の四足門                           東の四足門
安相寺(浅井長政由緒寺の碑が建っています)       江戸期の集落内石垣     
菅浦入口からつつら尾崎と竹生島を遠望
菅浦集落からつつら尾崎
丸子船(丸子船の館)
丸子船(丸子船の館)

近くの城・関連の城:田屋城