近江 / 雨森城



ファイルNo1875

雨森芳洲の住まい跡

                           土塁 

@ あめのもりじょう
  別名 

A住所:長浜市高月町雨森
    旧:伊香郡高月町雨森
B目標地点:雨森芳洲庵
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:宅地

F遺構等:郭・土塁・堀
G時代/人物:室町期/雨森氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  天川命神社から5分

J撮影・訪問時期:2008年04月

  

道案内 

北陸自動車道木之本インタを下り、料金所の先の信号で右折し国道8号線に入ります。700m先の木之本の信号で国道8号線は右折になり、長浜方面に進みます。2.8km先の横山の信号で左折し、1km先の井口の信号で右折します。500m先の井口南の信号で左折し、200m先のT字を左折します。500m先(雨森芳洲庵の標識有)を右折し、400m先の天川命神社前に駐車し、徒歩5分で雨森芳洲庵です。
 
訪城コメント

雨森集落の東側にある雨森芳洲庵(東アジア交流センター)が城館跡とされ、土塁が巡り、東側の土塁は高さもあり、雰囲気があります。雨森集落、お隣の井口集落は水路が集落内を巡り、水が大変綺麗なところです。

雨森芳洲庵入り口
歴史

時期は不明ですが、この地に土着し雨森氏を名乗った一族の居城です。磯野氏、赤尾氏、井口氏とともに湖北四家と呼ばれました。室町中期は、京極氏に仕え、その後、浅井氏に従い、この頃の当主の雨森弥兵衛清貞は、海北氏(綱親)、赤尾氏(清綱)とともに「海赤雨の三将」と呼ばれました。元亀三年(1572年)に小谷城落城に先立ち、織田軍に攻められ落城したとされます。雨森氏で有名な人に江戸期の儒学者の雨森芳洲(寛文八年(1668年)生)がいます。一族の子孫であり、この雨森で生まれたとされますが、父は京都で医者をしていたこともあり、京都で生まれたという可能性もあるようです。


  

 

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